脳内世界

私が捉えた真実、感じた真実などを綴った処です。
時に似非自然科学風味に、時にソフト哲学風味に。
その時その瞬間、私の中で、それは真実でした。


※下の方の○年○月っていうのをクリックすると、ひと月ぶんはまとめ読みする事ができます



 昔の日記1

もうこの「脳内世界」が消し去りたいほどどんどん恥ずかしい代物になっていく中、更に何年か前の昔の日記なんて載せようとしてる自分は軽くどうかしているが今に始まった事ではないので此処は敢えてスルーすることにする。


もう、正直に色々書きすぎだから
そろそろ本気で人格疑われそうな域


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(中学時代の日記の冒頭部分)

「硯に向ひて、つれづれなるままに…
下手くそな文字を 綴り続ける

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「一過性の」

時を隔てて冷めやるモノは 
本当に好きなものなのではなく、一過性の情熱に過ぎないのだろうか?
それを無理に持ち続けようとするのは
時間と労力の無駄に過ぎないのだろうか。

一過性の情熱というのはしばしば過去の栄光を伴う
もし過去を追い求める事を愚かな事だと云うのなら
既に消えているかもしれないその情熱を無理に確かめようとするのも又、愚かな事になるのだろうか

しかしそうなると
あの時は何より大切だと思っていたあの気持ちは一体、何だったというのだろう

それを否定したくなくて 又 同じ事を考える


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「絶対確信的不安定」

このパズルは間違っているか?
これは空ではなかったのか?
何故 一向に出来上がらない?
何故 はめればはめていくほど不明瞭なものになっていく?
何故「綿菓子だ」と言われて否定できない?

この積み木は間違っているか?
四角だけで積み上げるのがそんなにも不安定か?
何故今にも倒れそうなのだ?
何故次の積み方が判らない?
何故いくらも積んでいないのに次の積み木が見当たらない?

これ以上確かなものはないと思ってたのに
こんなにも不確かだったとは



―――私は何を見落としている?

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「意地っぱり」

渇きも 気付かなければ
渇いているとは思わない
無視をし通すと
やがて感じなくなるものだ
それはある意味 救われているようにも思えるが
渇きを知らぬと同時に潤いも知らぬという事なのだ
求められないという事なのだ

渇きを ずっと感じ続けていて
気も狂わんばかりに水をただひたすらに求めたとしても
一滴も 口に入らない事もある
そして
気が遠くなるほど その状態が続いていると
やがて求める気力も無くなってくる
斯くして渇きを感じなくなる
斯くして欲求は凍結される


あとは ただただ 凪が残るのみ

何をそんなに 否定する事があったのか

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2005年10月11日(火)
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