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■ 原発
例の地震の影響の
後からわかってくるトラブルに関してだけれど、 やっぱりかと思った。
人はアクシデントをアクシデントに見せないようにちょっとずつオブラートをかけて、「問題なしです」みたいに見せようとする傾向がある気がする。自己防衛反応みたいな。 まだアクシデントの10も、7も、6も見えてないうちから「10大丈夫です」と報告してしまうというか(いわゆる後に「想定外だった」といわれるような)。
チェルノブイリの原発のときだって、実はありえないほどに異常すぎる放射性物質を検出していたのに、トラブルがあったと報告も受けていたのに、実際には原子炉は壊滅状態だった(夜間で原子炉の全貌は判らなかった)のに、所長から上に報告された言葉は 「原子炉は無事です」 だった。
「生物濃縮」という言葉がある。 公害であるメチル水銀だとか、そういうのにわずかに汚染された小さなプランクトンを、小さな魚が食べる。 その小さな魚を、大きな魚が食べる。 その大きな魚を、動物が食べる、人間が食べる、 その頃にはもう、それまでの生物の中で取り返しのつかなくなるほど毒の濃度が濃縮されているというやつだ。 人がアクシデントを隠そうとしてちょっとずつ隠して上に報告されていく嘘は、 その生物濃縮に似ている。 気付いたときには致命的濃度となっている。
ところでなくなっている方々は、今のところどの方も自力で逃げる事が困難そうな災害弱者ばかりだというのを見て、 ああ、 と思った。
自分の地方で、台風が来たときに自主避難している世帯数が地域ごとに示されていた。 都市部等は少ないが、ひとつだけ目立って自主避難数の多い地域があった。 離島だ。 もともと世帯数が少ないはずなのに、他の地域に比べて目だって自主避難が多いということは、 その地域のほぼ皆がまとまって自己防衛対策を講じているということだ。
たしかあの地域は保健師の人が頑張っているところだった。 地域住民の災害時にかかわるネットワークをちゃんと日ごろから作っているのかもしれない。 地域の力は、災害時にもろに露になる。 それでも9人というのは、少ない方なのではと思う。
こんなとき病院は、保健所は。
考えさせられる。
2007年07月17日(火)
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