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■ 罪深い でもなく
多分なんでもそうだろうと思うのだけど、 例えば何かの外科治療…手術をするとして、 成功する子もいれば成功とはいえない子もいる。 いったん成功しても、その後急変して植物状態、脳死に近い状態、になる子もいる。
ドクターたちは助かる見込みのある子は全力で助けるし色々するけど、 「とても助かりそうにない」「回復の見込みが無い」子や、 「これ以上(専門である)心臓手術をすることはできない」子には、 私達ナースの目から見て、だが、 「何かしてくれる」事が極端に少なくなる。忘れ去られてるんじゃないかと思うほどに、消極的なかかわりにシフトしていく。ように思う。 それが、些細なことに関しても。 特に変わらない対処のまま、入院期間だけが長くなっていって、受け入れ先すら探してくれない。
脳死に近い状態(子どもは、脳死と断定できないからこう表現するしかないそうだ)の子を持ったおかあさん。 とても壮絶な悲嘆反応ののちに、彼女のなかでその子は亡くなったものになってしまっていた。 面会にも、来れない。つらいから。
私達はその子を毎日看ている。 その子を看ているのは、ドクターでも誰でもなく、私達しかいないんじゃないかと錯覚してしまいそうになる。 うまく説明できないが、なんとも、遣る瀬無い気持ちになる。 誰がこの子をすくいとってやれるんだろうか。 できることには、限界がある。それは皆、そうなんだろう。 ドクターも、親御さんたちも、ナースも、…この子も。
回診のときだって、この子のところはドクターたちはあっという間に過ぎていく。まるで、話すことなどないと言わんばかりに。
こういったことを、道の端にある溝に落とし込むように、まるで無かったことみたいにされるのが、どうしようもない気持ちになる。 私は自分の立場でしかものが見えてないから、判らないことや誤解はたくさんあるだろう。けれど。
いろいろな意味で、罪深い、と思わざるを得ない。なにもかもが。 けれどもっと純粋なレベルで生死を考えるとするならば、 罪などないのかもしれない。 でもそこまで言及するならば、医療は邪魔かもしれない、とも思う。
2010年02月01日(月)
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