脳内世界

私が捉えた真実、感じた真実などを綴った処です。
時に似非自然科学風味に、時にソフト哲学風味に。
その時その瞬間、私の中で、それは真実でした。


※下の方の○年○月っていうのをクリックすると、ひと月ぶんはまとめ読みする事ができます



 罪深い でもなく

多分なんでもそうだろうと思うのだけど、
例えば何かの外科治療…手術をするとして、
成功する子もいれば成功とはいえない子もいる。
いったん成功しても、その後急変して植物状態、脳死に近い状態、になる子もいる。

ドクターたちは助かる見込みのある子は全力で助けるし色々するけど、
「とても助かりそうにない」「回復の見込みが無い」子や、
「これ以上(専門である)心臓手術をすることはできない」子には、
私達ナースの目から見て、だが、
「何かしてくれる」事が極端に少なくなる。忘れ去られてるんじゃないかと思うほどに、消極的なかかわりにシフトしていく。ように思う。
それが、些細なことに関しても。
特に変わらない対処のまま、入院期間だけが長くなっていって、受け入れ先すら探してくれない。


脳死に近い状態(子どもは、脳死と断定できないからこう表現するしかないそうだ)の子を持ったおかあさん。
とても壮絶な悲嘆反応ののちに、彼女のなかでその子は亡くなったものになってしまっていた。
面会にも、来れない。つらいから。

私達はその子を毎日看ている。
その子を看ているのは、ドクターでも誰でもなく、私達しかいないんじゃないかと錯覚してしまいそうになる。
うまく説明できないが、なんとも、遣る瀬無い気持ちになる。
誰がこの子をすくいとってやれるんだろうか。
できることには、限界がある。それは皆、そうなんだろう。
ドクターも、親御さんたちも、ナースも、…この子も。

回診のときだって、この子のところはドクターたちはあっという間に過ぎていく。まるで、話すことなどないと言わんばかりに。


こういったことを、道の端にある溝に落とし込むように、まるで無かったことみたいにされるのが、どうしようもない気持ちになる。
私は自分の立場でしかものが見えてないから、判らないことや誤解はたくさんあるだろう。けれど。


いろいろな意味で、罪深い、と思わざるを得ない。なにもかもが。
けれどもっと純粋なレベルで生死を考えるとするならば、
罪などないのかもしれない。
でもそこまで言及するならば、医療は邪魔かもしれない、とも思う。




2010年02月01日(月)
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