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■ 文の中で見つめる
自分の気持ちを持て余すとき、私は文章にしてみるという行為をちまちまと行ってきた。 文にしながら、自分の気持ちを見つめるもう一人の自分をそこに立たせる。 ただ、いつもいつもそれができるわけではなかった。
文字として残さなかった私の中のいろんなものは、 たとえその時どんなに苦しそうに溢れていても、 波にさらわれてしまった砂みたいに、 ほとんどがどこかへ潔く流されてしまっている。 わざわざ探し出して復元するのが困難なほどには、 流されてしまっている。
流されてしまったものなんて、 後になってみれば特に困らないのかもしれないけど、 ただ問題なのは、 その時の自分の気持ちとちゃんと向き合わずに流してしまったことが問題だったように思う。
たいして騒ぐ必要のないことでも、 いっときの感情で荒らされる事だってある。 でもそれは、ある程度落ち着いて向き合わなければ気付かない事だったりする。 本当に考えなければいけないことを、 本当に見つめなければいけないことを、 いっときの感情でたくさん見落としてしまうことがある。 そこには、考え直せるきっかけだってあるかもしれないのに、 見落としてしまったせいでいつまでも同じようなくすぶり方をしてしまうことがある。
忘れてはいけない、と自分に言い聞かせる。 よくよく考えなさい、と。 けれど、考えたって消えない色んな感情っていうのは、 考えるのも時にナンセンスだってことも、 忘れてはいけない、と。
2010年02月03日(水)
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