− お気楽 Diary −




 親の責任    2008年06月10日(火)


 秋葉原殺傷事件の犯人 (じゃなくて容疑者と呼ばなくてはいけないそうですが) の両親が会見を開いている映像をテレビで見ました。 それを一緒に見ていた息子が 「なんで親が謝る必要があるんだ?」 と言い出しましたが、確かにそうでもあるし、そうでない部分もある。 これについては様々な考えがあるとは思うので私的な結論は控えますが、私が会見の映像で読み取りたかったのは父親の考え方でした。

 新聞に掲載されていた "親が書いた文章や絵で学校の成績が良かった" という供述の件を読んで、私の父と似ている部分があるような気がして気になっていたのです。 実は私も、小中学校時代は異常なほどに過干渉な父親のもとに育ちました。 いや、父の場合には過干渉という言葉は適切ではないのかもしれません。 何しろ小学生の頭で考えたって "尋常じゃない!" と思えるようなことを平気で押し付けるような人でしたからね。

 彼の場合には、毎年の夏休みの提出物に特に関心を示す人でした。 ある年などは、自分が趣味でやっている造園 (と呼ぶにはあまりにも小規模な庭でしたが) の一年間の草花の様子に、暦の移り変わりなどを重ねて文章にまとめたものにスケッチを添えて膨大な量の資料を完成させ、それを子供たちに一言一句間違えないように丸写しさせて (母が最終チェックを担当) 学校に提出させるという異常な神経の持ち主だったのですよ。 しかも姉と私とは3つ違いでしたので、同じ小学校に瓜二つの研究発表が提出されるということに何の違和感も感じないところをみると、これはもう子供たちの為にやっている事じゃ〜ないのは明らかじゃありませんか。 この頃の "辛さ" と "馬鹿馬鹿しさ" は今思い出してもウンザリしちゃうくらいです。 が、今思えば、私の場合は犯人とは違って "その提出物" によって成績が良かったということが無かったのは "幸い" だったと考えるべきなのかもしれませんけどネ?

 勿論、こうしたことに対して子供ながらに反論もしましたし、自己主張もしてみたことはありましたが、その都度返ってくるのはシツコイほどの罵声と平手打ちでしたから、いう通りに従うしかなかった毎日でした。 今でも鮮明に記憶に残っているのは、父に強制されて始めた通信教育をサボって手付かずにしてあったのがバレた時のこと。 「ヤル気がないなら止めちまえ!」 と怒鳴るので、素直に 「はい」 と返事をしたら目に一週間以上も消えなかった青痣が出来たくらいに殴られたことがありましたよ。

 こうしたことを変だとも思わず、子供たちを無理やり素直に従わせることで満足感に浸っているような父親でしたから、思春期以降は嫌悪感すら感じ、その後も恨みの気持ちまで抱いたような時期も長く続きましたけど、だからといって父親を殺すなんていう行為に走る気持ちは理解できませんし、ましてや全く関係のない誰かを巻き添えにして殺すなんて行動は信じられません。 犯人は 「自分の存在を気付かせたいためにやった」 とも供述しているそうですが、私の場合には 「自分が目立つことは嫌い」 な性格なので、このあたりの違いも動機に影響しているのでしょうか。 また男女の考え方や感じ方の相違なんかも関係しているのかもしれませんが?

 こんな父親も、年老いた今は "人並み" までは達していないものの、かなり穏やかになってきたと感じます。 が、いまだに自己中心的な考え方は根強く残っており、一緒に生活している母のストレスのもとになっている様子。 そして、この親に育てられた二人の娘たちは、表面上は普通の主婦となって幸せな毎日を送っているのですが、この家庭で長年のうちに形成された性格の中には捻じ曲がった部分が数多く存在しているような気がいたします。 今は自分が親という立場にあり、理不尽な殺人事件のニュースを見聞きするたびに、子育ての難しさを実感しておりますがね。



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