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2005年11月23日(水)
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命日 |
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あらま。気付いたら10日経ってたらしい。 昨年の日記を読み返す気力なぞ無いのだけど、11月は何とかショーやらイベント絡みの為に仕事が毎年多い気がする。 それは、5年前も同じだったという事で。
父上が勤労感謝の日に亡くなったのは、あまりにも「らしい」と思ってから丸5年経過。 あれから毎年、「もっと寒かったはず」とボヤいていた気がするけど。 今年の夜の寒さは5年前と同じくらいだ。 夜に息が白いのが同じ。車の窓が白いのも同じ。走り出して、しばらくはワイパーをかけ続けないと見えないのも同じ。着く頃に車が温まるのも同じ。 仕事が終って父上の病室に行ってた時刻と、今、店に行く時刻が同じ。 不思議な事に毎年この日は、普段宵っ張りな私が午前2時になる頃には猛烈な睡魔に襲われるのも同じ。 そして、観かけのテレビを消して眠る瞬間に思い出すのは、病院の床に横になった私をまたぐ看護婦さんの気配。 神経質な私が病室の床に横になるほど、耐えられなかった睡魔。 同じ睡魔が毎年襲い、同じ光景を毎年思い出すという偶然にも慣れた。
今日は、花が多かった。 前日に2号と息子が行ったらしい。 何やら、母上が近くに住みながら全く墓参りに来ない2号に嫌味メールをいれたとか。 小さな缶ビールとココアが置いてあった。 多分、缶ビールが2号でココアが母上だろう。もしくは、どっちも2号。 前日に父上が好きだったウーロンハイが唯一売ってる酒屋が休みで、母上が買えないと言ってた。 その酒屋で私はウーロンハイを買って、お墓に行った。 小さな缶ピールを見た時に、父上はビールを飲まないのにと思った。 ビールを買うなら梅酒か日本酒のワンカップを買った方がマシだ。 小さな缶ビールには、取り合えずお酒なら良いよね。っていう気持ちが滲んでる。 お墓に置くだけだから、小さくて良いよね。っていう気持ちがチラついてる。 人の、そういう部分に敏感だった父上。 そういう部分に鈍感だった2号と母上。
よくも悪くも何も変わらず。
カラスが何をしてるんだか知らないけど、柿の木の上で大暴れしてた。 葉っぱを盛大に落すので落ち着かなくて、あまり長居はしなかった。 タバコ2本が燃え終わるぐらいの時間だけいて帰って来た。 小さな缶ビールは捨てた。 新しく2号が持ってきた湯のみがあったので、私が先月持って行った湯のみを引き上げてきた。 また、風の強い日に割れるだろうから予備にとっておく。
一番最初にあった湯飲みは、父上が家で愛用していたダルマの絵の湯のみ。 実家に行くと私は、その湯飲みでお茶を飲んでいた。 自分で湯のみぐらい出して来いと言われても、私は父上の湯飲みを使っていた。 そんなものを外のお墓に置くなんてって思ったけど、愛用していたものを置いてあげるのは良いのだと母上がお寺さんに言われたらしい。 案の定、割れた。 割れた湯飲みが御墓の横に置いてあった。だから、それを私は持ち帰った。 持ち帰った紙袋のまま、開けてない。
丸5年、部屋の模様替えをしてない。 丸5年、開けてない引出しすらある。 掃除は得意ではないけど、模様替えは1年に1回はしてた。年末の大掃除みたいなものだ。 それをしないまま丸5年が経って、最近になって模様替えをしたくて溜まらない。 やっとこさ、時間を動かす気力が沸いたってことだと思う。
そういやぁ、あれから毎年。 勤労感謝の日は雨が降ってないんだなぁ。
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