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2005年11月13日(日)
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4年 |
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仕事が・・仕事がぁぁぁぁぁ。 現実逃避してしまいたい今日この頃。 土日も休み無く働いてると、曜日感覚なくなるでよ。 って、毎日家にいるのに土日きっちり休もうっつーのが贅沢な話か。 働ける時に働かないと、冬ごもり出来ないしな。などと考える辺り。 自分が働くべき人間だというのを少し忘れかけてるかも。冬眠したいなぁ。
さて。 13日は義兄の命日につき、1号と二人で墓参りに行って来た。 いつもより早起きして予定通りの電車に乗れて一安心。 去年はギリギリになってしまって、1号に切符を買っておいてもらって走りこんだ記憶。
父上のお寺も山を抱えているので寒いが、義兄のお寺さんは住宅街にあるのに更に寒い。 毎年、掃除をするのに水が冷たい。ほうきもチリトリも何もかもが冷たい。 が、今年は暖かい陽気で一安心。 それでも、駅を降りたら地元より気温が2度ぐらい低い感じ。 そういえば、世田谷って雪が積もるんだよね。普段から寒い土地なんだべな。
木の真下にある義兄一族のお墓は枯葉三昧で、毎年デカいチリトリ何往復分かは積もってる。 今年はそれも少し少なかったような感じ。
義兄の眠る御墓の斜め後ろには、もう1つ一族のお墓がある。 知らなければ何もせずに過ごすが、やっぱり知ってるからには知らないフリは出来ない性質で。 一瞬の迷いがあったのは、私は親族じゃないから。 そのお墓の中の人にとっては、私は誰だ?状態な他人なのに掃除して良いものかどうか。 小さい時に言われた「他人のお墓に手を合わせると憑いてきちゃうよ」という迷信を信じてたりする。 それでも、まぁ血のつながりは無いが他人では無い。 ということで、1号が義兄の方の墓石を磨いている間に掃除開始。
花入れに水が溜まっており、案の定腐ってる。 これは外せるのか?と1号に聞くと「外れないんじゃない?変わったことはしない方が良いよ」と言われた。 言われたのに、回すと外れたもんだから外して洗ってみた。 洗い場から戻る時に水桶やら掃除道具で手が一杯になったので、花入れを重ねて持って行った。 一瞬、店のプラスチックの器が頭を過ぎった。 水がついたまま重ねると、水圧で取れなくなる器。 同じくプラスチックで出来た花入れ。
ええ。案の定。 っていうか、かるーく、かるーく重ねて持って行っただけなのに。 キッチリ嵌って取れなくなってしまった。 墓の前で外そうと格闘。 1号にもやってもらったが梃子でも動かない。 仕方なく2段重ねのまま元の場所に設置。 「誰か男の人が来たら取ってくれるよ」と1号は言っていたけど。 更に「次に来た人はビックリするだろうね」と1号は笑っていたけど。 次にいつ誰が来るかは知らないが、それまでに外れるくらいに水が蒸発してりゃぁ良いけど。 それまでに雨が降ったら。雨の日に運悪く来ちゃったりしたら。きっと外れない。 来年、また私が来るまで同じ状態だったら、どうすべ。 良い事をしたつもりが最悪だ。
義兄が亡くなって4年だというのは覚えていた。 父上は5年か6年かウロ覚えだったのに。 私の記憶の有効期限は4年ってことか。 いや、しかし。来年は父上の七回忌。再来年は義兄の。 ってことで、記憶の差替えが成されるので大丈夫だろうと思う。 もしかして、何回忌ってものは曖昧になっていく時間の記憶を戻す役割があるんじゃなかろうか? などと、自分に都合よく考えてみた。
義兄の愛用していた腕時計は、今も動いているんだろうか? 私の携帯には、まだ義兄の携帯番号が入っている。 父上の、その時を思い出すよりも。義兄の、それまでを思い出す方が多い。 思い出そうとして思い出す訳ではなく頭を過ぎる。 あの時に感じた怒りに似た遣る瀬無さは、自分がやるべき事として目標にした。 だけど、その自分が描いた事を私は実行していない。 それどころか忘れていた。 それを最近思い出した。
でも。山盛りの言い訳を作って実行することは無いような気がする。 山に埋もれない内に、祖母の見舞いに行ってこよう。
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