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2006年08月14日(月)

お盆

お盆ですな。
そこはかとなく体調が悪いような感じで。食欲も珍しくな無いような感じで。
これは所謂夏バテってやつなのかもしれぬ。
バテるほど暑い場所に出てないし、冷房も程々なのに不思議だわ。

と。
今、ベランダで物音がしたので見にいった。
干しておいた畳(部屋に敷く半畳ぐらいのやつ2枚)が倒れてたので直した。
直して、日記を数行書いたところで大きな雨の音。

雨が降るよってお知らせだったのかしらね。
なんて事を本気で思ってしまいそうになるのは、お盆だからってことで。

今朝、ゴミを出しに行くと原チャリが勢いよく走ってきたので除けたら、袈裟をなびかせたお坊さんでしたわ。
大忙しなのだね。

世にも奇妙な物語的な話について、私は「そういう事もあるかもね」的な考えで。
100%信じきる事は無いけれど、その人の語る事が妄想である可能性もあるかも。
ぐらいは考えたりもする。
でも、その人がそう言うんだから、そうなんだろう。で終る。

母上が、「お父さんが来る時は屋根の上がカラカラ行ったり、ドンドン音がしたりするのよ」と言うけれど。
それは、母上にだけ聞こえるものだと思っていて。
嘘は付かないだろうけど、妄想じゃないとは言い切れない。

ただ一つ。
これは前にも書いたと思うけど。
父上が最初の癌告知をされて手術した後、フラリとお坊さんが入って来たという話だけは信じている。
そこまでの妄想と作り話をする程の想像力が母上には無いと思うから。
そのお坊さんは、まさしくお坊さんという格好では無かったらしい。
母上の表現だと甚平みたいな。それでもお坊さんって分かる格好だったらしい。
フラリと父上の会社に入って来て、御札をくれたと。
あれは、何だったんだろう?って母上は今でも疑問らしい。
初めて見る人で、それから二度と会わない人。
夢じゃないのは、その御札が今も存在するから。

あ。今、気付いた。
その御札を見て何が書いてあるかを調べて見りゃ良いのかな。
何の御札か分かったら、少し謎が解けるかも。


さて。お盆と言えば墓参り。
土曜日に我姉妹2号が行ったらしい。日曜は母上が。
私は、さぼった。
16日にお坊さんが来るので実家に行くし。18日はお施餓鬼でお寺に行くしし。
という口実を見つけて。
本当の理由は体調不良と言う名の面倒臭がり病だ。
13日の朝、父上の位牌にお線香を上げつつ「おかえり」と言っただけの、親不孝な娘でごめん。

今年は祖母の新盆だ。
M伯父によると何も特に親類を呼んだりはしないらしいので、墓参りには15日に母上と行く予定。
祖母のお墓にいるのは、祖父と父上兄弟の次男であるK伯父と伯母。
伯母については、生前父上に生まれて間もなく亡くなったと聞いていた。
ところが。
父上の兄弟の末っ子である唯一の妹である叔母ちゃんによると、その人は父上のすぐ上の伯父の子供だとか。
どちらが本当なのか。多分、父上が言った事が正しいと勝手に思っているけど。

このお墓には、もう一つ謎があった。
お墓に入っている祖父が、本当に私の父上の父親なのかどうか。
考えてみりゃ、戒名が彫ってあるんだから明らかに祖父って分かるだろうに。
だけど、祖母が祖父が亡くなった後に再婚したとかしないとかいう話があって。
祖父に関しても、栃木の人がお骨を渡してくれなかったとかいう話もあって。
全て断片的に聞いている話なので、何が本当でどうのっていうのが分からずにいた。

今まで、そういう話を親類の誰かとする機会も無かったし。
ということで、先日、烏山に行った時に疑問を解消してきた。

結論から言うと、お墓に眠っているのは確かに祖父。
でも、お骨じゃなくて。土なのだそうだ。
M伯父に聞いたところによると、祖父の時代は土葬だったらしい。
だから、その土をいただいてきたそうだ。
ということは。本当のお墓は栃木なのかもしれない。
その辺の話は、なんだか突っ込めなくて聞けなかった。

祖父がどういう人かって話しは、祖母の弟である末おじさんに聞いた。
祖父は長男だった。
だけど、栃木が嫌でこっちに出てきたと。家出同然だったらしい。
腕の良い鍛冶屋だったけど、お酒が好きで。
戦時中は手に入らないから、医療用のアルコールを薄めて飲んでた程。
そんな物を飲んで、御飯も食べなかったから身体を壊してしまったそうだ。
父上の兄弟が全て飲兵衛なのは、祖父の遺伝だってのがよく分かる。

その祖父の本家は何年も前に無くなってしまったらしい。
誰かに乗っ取られたとか。
それが、祖母方の親戚だったか、祖父方の親戚だったかは、よく分からなかった。
とにかく。今は無いんだ。

あ、苗字にまつわる話も聞いた。
私の苗字の漢字は、同じ読みでも少ない方なんだけど。
実は、元々は違う漢字だったんだそうな。
どっかで変えたんだって。昔って簡単に変えられたんだね。
そういや、父上の名前の読みも勝手に父上が変えてたしな。

祖母との馴初めも聞いた気がするんだけど、どこかボーっとしてたのか余り覚えて無い。
祖母は女っぷりが良かったと祖母の妹さんが言っておった。
祖母の顔は、池田あきこさんっていう作家の描く猫のダヤンに似ている。

烏山で会った祖母方の私と同年代ぐらいの女性は、背が高くてスタイルが良くて綺麗な人だった。
その人の、ひいお婆ちゃんが背が高くてスタイルが良くて鼻筋がスっと通った顔で。その人によく似てたそうだ。
ってことは、祖母の母親になるのかな?
父上の一族は皆、背が低い。
けど、祖母は昔の女性にしては背が高いそうで。
私の背が高くなったのは、祖母の血筋かね。まぁ、産みの母親の血筋も大きいけど。
そういえば、末おじさんも背が高い方だったな。
顔は祖母に似てなくて、目が細くて薄い顔だったから、きっとひいお婆ちゃん似なんだろうな。

戦中戦後、祖父が亡くなった後の祖母の暮らしは大変だったと誰もが口を揃えて言っていた。
だから、長兄であるM伯父と亡くなったK伯父以外は皆、栃木にバラバラに預けられてたと。
物凄い意地悪をされた話し。食べ物がなくてひもじかった話し。
S叔父は、勝手に食べ物を食べて酷く叩かれた事を今でも恨んでるって話し。
烏山から宇都宮まで線路沿いに歩いて(今の電車で50分かかる距離)。宇都宮から貨車に忍び込んで祖母のところまで帰ったって話し。
帰って来たS叔父を引っ叩いて祖母が栃木に帰したって話し。
そんな苦労を祖母の側にいたM伯父は知らずにいたって話し。

S叔父が言ってた。
それぞれ、苦労はしたんだよ。皆がそれぞれ大変だったんだ。
だから、そんな昔の事は忘れて仲良くやりゃー良いのに。

なんだか、私の家族に通ずる話だ。
なんかさ。S叔父自体は余り良い人とは思ってないけど、言ってる事には同感。
けど、今回の不幸を父上のすぐ上の伯父にだけ誰も知らせてないっていう現実はどうなの。
まぁね。年金暮らしの借家暮らし。伯母は病気で通院している生活だからして。
知らない方がお金もかからずに良かったのかなって思うけど。

父上の兄弟は仲が良くない。
父上だけが、文句を言いつつも皆と繋がっていた。
父上が生きてたら、今回どうしただろうね。
「たられば」を考えても仕方無いけどさ。

祖母の葬儀でもそうだけど、今回の葬儀でも発覚したことがある。
父上の葬儀で、私たち姉妹の一人が栃木の人に物凄い印象を残していたらしい。
それは、「お父さんの葬式で泣いて大変だった子」と称されている。
その子供は、祖母の葬儀の時には「末っ子」だったと勘違いされていた事が発覚。
それが、今回の烏山での葬儀の時には「真ん中の子」と勘違いされている事が発覚。
目撃した其々が勝手に何番目の子供かを推測した結果なんだろうけど。
誰も長女だと思ってなかったとこがミソ。
つまり、誰も私を末っ子だと思ってなかったって事だ。

今回、母上と一緒にいたから父上の子供って思ってもらえただけの話で。
もしかしたら、父上の子供として覚えてもらって無かったのかも。
相当、印象の無い存在だったのかもしれないな。


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