2002年08月11日(日)
長崎は今日も雨だった



れん

まあ詩のとおり雨でしたけど
でもぶらぶらの時は降んなかったし
それに黒い雨でもなかったし
よかったよかった

生まれも育ちも九州なのですが、しかし初めて長崎に行ってきました。
んで、生まれも育ちも日本なのですが、しかし初めて原爆資料館に行ってきました。
んでもって、ぼくの生まれ育ったとこが8月の9日のその日に曇ってたそうで、んなもんでファットマン抱えた飛行機は長崎に飛んでその爆弾落としていったそうなのですが、しかし初めてその長崎に行ってきました。

なんか怖いっすねえ。たった一発の爆弾でその日のうちに、日が暮れる前に、幾万人の人間が死んじゃうんでしょ。しかも50年前の長崎っすよ。あんまり人もいないようなですねえ、ちっちゃな街っすよ。当時人口24万人で7万人ぐらいがっすよ。んで負傷者が7万人。

そんでもって50年以上も前の話っすよ。今の爆弾だったら、この数字、どうなっちゃうんっすかねえ。だってけっこう性能あがってるっしょ、もう50年も経ってるんだし。まあでも去年のアフガンでいっぱいミスってたけど。んで間違って色んなことあってたけど。例えば勘違いで結婚式にミサイル打ち込んだりとか何度かやってたけど。

同行した人が言ってましたけど
人間がしたことだからねえ
なんでこんなことするんかねえ

まあでも簡単っしょ。原爆とか水爆とか、最近はちょっとすごくなって中性子とかってのは、結局は人間心のなかの在るところが象徴されてるわけっしょ。だってそれ使って脅すのも、それ使って自分を守るのも、実際にそれ使ってみるのも人間でしょ。だってアタマきてぶちきれて、んでちょっと過ぎちゃってってのの延長線でしょ。あいつすっげむかつくってのの。

なんなんでしょうねえ。
なんだか自分自身、反省でした。

今回、6月ですが、いろんな思いをしてインドより日本へ帰ってきました。インド、またパキスタン、南アジアにいらっしゃる方々の皆さん、同じような、いや、それ以上の思いや歯がゆさや苦しみをされたことと思います。僕自身、今回長崎へ行かせてもらい、あの時の思いを決して忘れちゃいけないなあと思い出させていただきました。僕は六月の第二日曜に飛行機に乗って脱出したのですが、その前の一週間、デリーはけっこう雷が鳴ってたんですよね。あの稲光に、なんか始まっちまったの?ってびびってなかなか寝つけなかったんっすよねえ。っていうか、試験前だったんでもうぜんぜん集中なんてできない。友達のインド人と図書館で顔会わせても、何を話していいのかってな感じ。とてもじゃないけど、次の日曜インド脱出でーす、なんて言えない。脱出って、わけわかんねー。

アメリカのライナス・ポーリング博士はノーベル賞をふたつ受けられた唯一の人物として有名な方ですが、最初は化学賞。次に平和賞を。博士はその平和活動のおかげでさまざまなかたちで攻撃されましたが、しかしこう言われてます。

「世界には核兵器や軍事力という悪の力よりも、もっと偉大な力があります。それは人間の心であり精神力です。私は、人の精神の力を信じます」

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