今、アーニー・ディフランコのNEWアルバム 『ソー・マッチ・シャウティング/ソー・マッチ・ラフター』を聞いている。 生の感じが良く伝わるLIVEアルバムだ。 来日した時は、是非彼女のLIVEに行きたいと思う。
昨日まで風邪ひいてて、ちょっと気分良くなかった。 タバコは相変わらず吸い過ぎ傾向にある。
アコースティックギターとパーカッションとベースとバイオリンとか オルガンの4人で音楽を作れれ俺は最高だ。 考えてみれば、初期のRCサクセションが理想に近いのかな〜。 う〜んまたちょっと違うな〜。
瞬間的な喜びを快楽を、瞬間的に味わいたい俺は、 飯食うのが速いのにも通じるけど、 どんどん酒飲んでどんどん酔払って行くのにも通じるけど、 友達とバカをするのにも通じるけど、 ステージに立って音楽をやる喜びにはどれもかなわない。
普段の俺はまだ、自分の本当にやりたいこと、 そのためなら命をかけてもかまわないと思える目標に辿り着いていない。 そしてそのことが一種の虚無的な気分に誘い込まれる時がある。
自分の人生をどこかロマンチックに考えている自分もいれば、 生活ってものは凄く現実的で、ちゃんと食べて、 寝て暮らしいくだけでも大変な事だと感じる自分もいる。 だからこそ、もっともっと世間を知りたい、もっと苦労して、もっと人間の 生活の全てを知ってその中から本当の自分を発見したい。
そう思ってこれまでやって来て、でもそれが解るのは30になる時と、 20代は俺は迷ったり、反対の方へ突っ走ったり、 無駄足踏んだりしてめちゃくちゃでやっていきたいと、思ってやってきた。 死ぬほどつまらない人も見て来た、その全く逆の人も見て来た。
そのなかで俺はこの世間でほとんど取るに足らない石ころのような存在でし かない事を嫌という程、自覚し そこから出発しないと、何も始まりはしない。
そんな風に感じる中で、ステージに向かう気持ちというのは、 ただの憧れだけで音楽をやっていた気持ちとは180度違うものがある。
ステージにあがる事が恐ろしく恐い。 嫌という感情であるわけない。 ただ恐ろしい。空っぽの中に身を投じるような、 未知のものに手を振れるような、底なしの所に足を踏み入れるような、 恐さ。
ただ「とけちまえ!」そう覚悟を決めると、 急に何もかもが遠い他人の出来事のように思えて、 それでも自分の唄を唄ってる自分がいる。口が動いてる。 手が動いてる。足がリズム刻んでる自分がいる。一直線な快感がある。
何もかもが音楽に通じている。俺は音楽を通じて何を手に入れたいのか? 解らない。考える事でもないのかも。必要がないのかも。
ただ、凄く単純で、あたりまえな事がどんどん、 どんどん奇麗に見えてくる。 透明に感じてくる。そんな心さえあば・・・・。
でも自分だけの力じゃそれは知らず知らずに霞んでいってしまう程、 厳しいから生きていかないと。
それは全部、音楽に通じている。抽象的だが音楽に通じている。 何もかもが。いろんな事全てが。 俺じゃなくて良い。音楽であれば今の俺はそれでいい。
・・・・練習もしないとね。
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