麻綴り
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2002年07月27日(土) もう寝ます(+宇宙研の一般公開について加筆)

今日はもう限界なので寝ます。

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昨夜は、金曜のドライバーズコメントの翻訳で、朝4時頃(だったかな?)くらいまでかかり……その前の晩も寝不足だった私は、最後は完全に朦朧としながら訳してました。
1文訳しては気が遠くなり、また気を取り直して訳し、またウトウトし……。
へんてこな訳をしてないといいんですが……。

で、4時半頃寝て、今朝も8時頃には起きだしました。
今日は、ハープクラブは欠席して、夫、娘と一緒に、相模原の「宇宙科学研究所」の一般公開に行くことになっていたので。

詳細は、また改めて書こうかとも思いますが、とにかく渋滞がひどくて、ぐったりして帰宅したのが、予選生中継のすでに始まった午後8時過ぎ。

夫の妹が、九州から遊びに来たので、まずは家族全員で夕食をとり、その後フリー走行から予選まで(フリーは時々はしょりながら)ビデオを見たのですが。もう、眠くて眠くて。
現地からの映像も時々乱れてましたが、うちのビデオも不調で、しょっちゅう画面が消えてしまっていて、しかも私の意識が時々途切れるので……なんだか、全体がよくわかりませんでした。結果だけはわかりましたけど。

まあ、こんな状況ですので、今日は寝させていただきます。
前の晩の睡眠が足りない状況で、コメントを訳そうとすると酷いことになる、というのは、今回改めて思い知りましたので。
明日の晩も仕事があることですし、とりあえず寝ます。

おやすみなさい。

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(7月31日(水)8:12a.m. 仕事明け……)
「宇宙科学研究所」の一般公開について、加筆しておきます。

「宇宙研」は、いうなれば夫の仕事場のひとつでして、年に一度、夏休みに開かれる「一般公開」に娘を連れていこうというアイデアは以前からありました。これまでは、スケジュールの都合で実現しなかったのですが。

「一般公開」というのは、「宇宙研」の行っている研究を、一般の人や子供にもわかりやすく展示/発表するイベントです。
娘ももう年長さんだし、それなりに発表もわかる年になって、今年はいいチャンスだったと思います。

さて、車で行ったのですが、この日は渋滞がものすごくて大変でした。
夫は会議だ何だと、折に触れて車で宇宙研に行っているのですが、普通で2時間程度、空いていれば1時間半で到着する道のりを、今回はなんと4時間もかかりました!
どこから湧いてきたのかと思われるほどの、車の量。夏休み中の土曜日って、普通こんな状態なんでしょうか?

娘もさすがにウンザリして「まだ着かないのぉ〜」を連発。しかも、昼になっても到着せず、お腹が空いてくると、さらに情けない声を出す娘……。
「うちゅうけんって遠いんだね〜。こんなに大変な旅をして、おなかがすいてもがまんしなくちゃいけないのぉ?」
結局、時間の節約のため、途中のコンビニでおにぎりと納豆巻きを買って、車内でお昼にしました。

  ***

さて、2時半頃ようやく現地に到着。入り口で「宇宙わ(うちゅわ)」と書いてある宇宙のイラスト入りの団扇をもらい、構内に入りました。

この「宇宙わ」、なかなか洒落の効いた能書きがついていて、面白い代物でした。ここではうまく説明できないのですが……。
「『宇宙わ』の握りの部分は、130億年の昔に始まった宇宙のビッグバンをあらわしています。『宇宙わ』の先の方が現在の宇宙です。宇宙は今もひろがっています……」云々。
最後に「以上、『宇宙わ』の内輪話でした。」と書いてあるのがご愛嬌。

さて、展示会場ごとにスタンプを押す、スタンプラリー(子供向け)の紙をもらって、会場巡りを始めました。
夫が娘に「ほら、あれが人工衛星だよ。あれが宇宙に行くんだよ」「あの黒いのが太陽電池」「あれが衛星に載る望遠鏡だよ」などと説明していました。

レールガンの実験で、ものすごい音と光に飛び上がったり(もうちょっと小さい子だったら泣いてたと思う)、月・惑星探査ローバの模型を見たり、操縦させてもらったり。M-V(ミュー5)ロケットの紹介ビデオを見てしみじみしたり……。

  ***

話はやや脱線しますが、ふと思いついたので、M-Vロケットの話を書いてみます。

2000年2月に、M-Vロケットの打ち上げが失敗したことをご記憶の方はいらっしゃるでしょうか。(宇宙開発事業団のH-2ロケットじゃなくて、宇宙科学研究所のM-Vロケットの方です。)
そのロケットには、遠い宇宙の天体のX線を観測する「X線天文衛星ASTRO−E」が搭載されていました。うちの夫は、その衛星に積まれた観測機器を開発していたグループのメンバーのひとりでした。

あの打ち上げ失敗は、私にとっても、ものすごいショックでした。打ち上げまで、夫やほかの方々は、膨大な労力を注ぎ込んで、観測機器を作っていたのです。実験に次ぐ実験で、夫は休みもなく、帰宅も深夜。直前になると泊まり込みで、なかなか帰ってこなくさえなって、私と娘は母子家庭のような状態でした。
そんな苦労の末に、ようやく迎えた衛星打ち上げの日。
なのに……NHKのお昼のニュースで、打ち上げ失敗を知り……私はもう呆然とするしかありませんでした。ショックでした。娘は私の膝の上で眠っていましたが(まだ3歳でした)、悲しくて悲しくて涙が止まりませんでした。
新しい衛星の誕生日になるはずの日が、命日になってしまったのです。あれだけの労力をつぎ込んだ結晶が、あっけなく、流れ星のように燃え尽きて消えてしまったのです。

その夜、娘にも「おとうさんのロケット、失敗しちゃったんだよ」と話しました。布団の中で、娘と一緒にお祈りをしているとき、「おとうさんがとってもがっかりしているので、どうぞ慰めてください」と祈っていたら、私はまた悲しくなって、不覚にも娘の前で泣き出してしまいました。そうしたら、娘は一生懸命慰めてくれました。「ぞうさんも、ライオンさんも、強いよ。カバさんも、ワニさんも……」(だから泣かないで、というつもりらしい。)

数日後、娘と父との会話。
娘「おとうさん、衛星、しっぱいしちゃったの?」
父「うん、失敗しちゃったんだ」
娘「おとうさん、衛星、また作って」
父「……うん、また作るよ」(内心ジーン……!?)

その後、私と娘との会話。
娘「アーちゃん、18歳になったら、はやく“大学がっこう”へ行って、おとうさんとロケットのお仕事するんだ〜。衛星やりなおしするんだ〜」
私「本当。すごいねえ(笑)」
娘「(ロケットに)寝るとこある?」
私「うーん、おとうさんのお仕事のロケットには、寝るとこはないなあ」
娘「アーちゃんのロケットには、寝るとこあるよ」
私「そう。アーちゃん、ロケットに乗るの?」
娘「うん、乗るの」
私「いいなぁ。おかあさんも乗りたいな」
娘「うん、一緒に乗ろう!」

娘は、こんな会話をしたことは、とっくに忘れてると思うのですが。夫にとっては、幼い娘の言葉は、今も心の支えだそうです……。

今、急に思い出しました。あの打ち上げ失敗の日、私がどうやって気を取り直したか……。そう。ミヒャのインタビューを読んで、ものすごく励まされたのでした。

その前の年(99年)、骨折でチャンピオンシップの戦線を離脱せざるをえなかったことについて訊かれた、ミヒャの言葉……。
「一瞬でチャンピオンシップが終わったことを悟ったよ。そうすると、フラストレーションはすぐに消えていった。今度は、自分自身のこと、回復することを考えるんだ。他に心配すべきことがあるんだから、タイトルのことはもう考えない。チャンスを逃したことは、それほどくよくよ考えたりしなかった。
運が悪かっただけなんだからね。仕方のないことさ。僕はリアリスティックな人間なんだ。夢想したりはしない。終わったことは仕方がない。未来のことを考えるんだ」
……なんて前向きな言葉でしょうか! 私は、本当に励まされました。当時、今の仕事(モータースポーツ関連の翻訳)はまだ始めていなかった私ですが、英語サイトで見つけたこの言葉を、かみしめながら翻訳しました……。
これをそのまま、夫へのメールに書いたら、「ミハエルってほんと偉いやつだよね。あそこまで才能があって、しかも真摯(紳士じゃないけど?)なのはすごいと思います」と返事がありました……。

えらく長い話になってしまいました。字数制限は大丈夫でしょうか。
その後、ASTRO−E�兇侶弉茲�承認され、2005年の打ち上げに向けて、リベンジのプロジェクトがすでに進行しています。
M-Vロケットも再起を賭けて、今秋に再び打ち上げられるそうです。これをお読みくださったあなたも、ぜひ応援してください。無事に衛星を軌道投入できるように……。

  ***

さて、「一般公開」に話を戻します。
あれこれ見て回った末に、X線天文学&ASTRO−E�兇離魁璽福爾帽圓�と、夫の仕事仲間の人たちが喜んで迎えてくれました。
キャスターに着いた椅子に立て膝で座って、自転車の車輪(?)を手にもって回転させ、左右に傾けると、身体はどっちに回転するか……という体験コーナーをやっていて、誘われるままに、娘と夫は体験していました。娘もなかなか上手にやっていました。(たぶん、衛星の姿勢制御に関連する体験コーナーだったんだと思います。物理オンチの私にはよくわからないけど……。)

たっぷり楽しんで、帰路につきましたが、またまた混んでいて3時間ほどかかり、予選開始に間に合わなかったのは、前述の通りです。

この長い話におつき合いいただき、ありがとうございました!


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