2011年05月24日(火) 雨ニモマケズ。 |
なぜ、どうしてという種類の怒りは見返りを求めているが故に産出される感情であって、自分がしてあげたことに対して想定される正のフィードバックがないものだから、それは不満となり不満は攻撃性のベクトルに乗って怒りという感情に変わる。人の心を扱う私達の仕事では、「自罰的」「他罰的」という言葉を使うことがあるが、すぐに怒ってしまう人は周囲を罰して自らを正当化する他罰的傾向が強い。 これは他罰的傾向が悪いというわけではなく、どのレベルでその怒っている人が「罰」と考えているのか認識することが大切であって、いっつもプリプリしている人は誰かに何かしらの正のフィードバックを求め続けており、果たしてそのフィードバックが現実的なものなのか、もはや妄想染みているのか認識していないものだから、時に怒らない人、イライラしない人になりたいなんて思ってみてもなれるわけがなく、逆逆、順番が逆。怒らない人、イライラしない人を目指すのではなくて、見返りを求めない性格を作り上げればいいのです。 作り方は簡単。簡っ単ッ! ありとあらゆる人に無関心になること。ある種の心の病の治療経過として「開き直る」という非常に大切な段階があるのだが、無関心になることと開き直るということは実は心の働きはよく似ていて、とにかく何も期待しない。私達は二進数で成り立っているのではない。数万数億という複雑な細胞の凝塊によって成立しているのだ。一つの刺激に対してそう簡単に想定した反応があるわけではない。 決して見返りを求めず、いつも無関心で開き直り、褒められもせず苦にもされず、そういうものに誰だってなれる。仕事だって恋愛だって、見返りを求めないほど長続きするのです。 |
翌日 / 目次 / 先日 |