にっき日和
おしながき前よむ次よむ


2003年07月14日(月) 迎え火

夜の帳がおりるころ、

町のあちこちで、喪服姿の人々を見かけます。


今日は、旧盆。


お隣のおうちでも、

今年亡くなったおばあちゃんを迎えるため、

門で迎え火を焚いています。

亡くなった家族の魂が、

まっすぐ自分の家に帰って来ることができるよう、

目印として焚くのだそうです。



母方の祖母が亡くなったのは、

ふた昔前の雪の日です。

小さな頃から、わたしをとても可愛がってくれた祖母でした。



祖母は、二ヶ月あまりの入院生活の末、

息を引取りました。

体中に管を通された彼女は、

とても安らかとは言いがたい最後だったと聞きました。



彼女の葬儀の日は、温暖なこの地方にしては珍しく、

その年一番の大寒波が襲っていました。

びゅうびゅう吹き付ける風に混じって、

弔問客の喪服に肩に、

容赦なく、雪は降り積もります。


そして、

中学生のわたしは、

たくさんいろんなことを考えたのです。


ああ、祖母は永久にどこかへ行ってしまったんだな。

死ぬって、永久にさよならすることなんだね。

死ってなんだろう。

永遠って、なんだろう・・・・・・・



祖母には、二度と会えないと思っていました。

だって、死とはそういうもののはずでしょう。

けれど、わたしは会ってしまったのです。

あの懐かしい顔に、再び会うことができたのです。

それに気がついたのは・・・・

そう、ここ二〜三年前から。



生き写しって、こんなことを言うんだなって思いました。

近頃の母は、祖母にそっくりになってきたのです。

笑ったときの目の形とか、口元の皺とか。

ふとした表情に、どきっとするほど、

祖母の面影を映しているのです。

この先、年をとるごとに、

彼女は、ますます祖母の面影に近づいて行くことでしょう。



血って、ふしぎです。

もう会うことも無いだろうと、諦めていた祖母に、

こんなかたちで再会できるなんて。

そう、二十数年も時を隔てた今ごろに。

死って、必ずしも無に還るものではなかったんですね。



外が賑やかになってきました。



お隣で盆供養を終えた近所の人々が、

談笑しながら家路に着いています。

耳を澄ますと、母の声も混じっていました。

姿無き故人も、それぞれの我が家に戻ったのでしょうか。



魂の存在の有無なんて、誰にも断定できないけれど。



会いたいと思う人の心の傍に、


懐かしい人は、

生き続けるのです。



















ぴょん

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