電子メールの存在を初めて知ったとき、矢文 を想像した。平安時代、弓矢に手紙を付けて、飛ばしたものである文章をキーボードで打ったものが、その画面が相手の画面に現れる、という発想がわたしにとってカルチャーショックだった。そして矢文を飛ばすつもりでメールを書き始めた。そんな現代の矢文であるメールは今、人にとってどんな存在になっているのであろう。趣深い情緒をあらわし届けるようなものとはほど遠くなってしまったがあの頃の新鮮で純粋な刺激を保ち続けるようなすべはあるのであろうか。