人間の何を見て、何を悟り得たつもりかは知らないが、この頃の私は人間生活から離れることに義務すら感じていた。超自然主義とでもいうんですかね? そんなこと出来る力もないくせに理想だけはいっぱし。あれこれと考えるのは勝手ですしそれで周りに害が及ばなければいいのですがね、人間である以上「社会」というコミュニティー以外で生きる機会など稀なことである。その最小単位の次にあるのが「家族」でありまず人間はそれを無視して生きることなど出来はしない。私の場合この先明らかに害を被るのが家族でした。
自分の考えは「逃避」だと思っていたしそれでもよかった。これを完成させるにはどうすればいいのか? 文明社会から離れて暮らすなら農業も悪くは無い。この腕力が非力な自分で勤まるかどうかは別問題(笑)。それが私の考察を根本的に解決するものではないと分かっていたので、より一層の考えを深める方法として「学問として考えていったらどうか?」と思い「哲学」という選択肢が浮上した。
学問の中に人間の全てを悟りうる術などありはしない。宗教の教義自体に万民を幸福にする術などある訳が無い。学問を学ぼうと、例えば大学へ通って色々な人間に会って様々な経験を重ねていく上で分かっていくのが「人間」というものであって、それは学問に裏付けられた思考でまとめられるものではない。宗教というものは個人が胸に抱く「信仰」それこそが最も重要なことである。だから子供を連れて布教活動を戸別にするようなあのしつこさには辟易してしまう。もっともらしいことしか言えない「信仰」の押し付けは大きなお世話である。
自分自身、分かっているようで何も分かってないこの状況をどう打破すればよいのか?
気が狂うには冷静だ 宗教に入るには信仰心が無い だったら?
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