社会に出て職を変えずに仕事を続けているとどうしても仕事中心に毎日同じような日々の繰り返し。ちょっとした変化を感受できなくなったといえばそれまでですが、学生の頃の1年と今とではその時間の流れが前者の方が倍以上遅かった気がします。
高校にあがってからというもののこれといった趣味もなく、天文雑誌で出会った『嶋』さんとはほとんど星の話はしたことがなかった。年齢に分相応の恋愛なんてする気もなかったし、私が最も勉強に時間を割いていたのは中学時代のほうだ。この学校に来てから休日に連絡をとって出かけたりする友人など5本の指以下だったし、カラオケは嫌いだったのでけっこう好きなタケダに誘われても首を縦に振ったことは無い。学校に行けば誰と話すでもなく授業を受け、昼は人目を避けてボケッとし、約束するでもなく放課後の図書室に集まった友人に簡単に別れを告げてとっとと帰宅する。そして土曜の深夜は「さだまさしのセイヤング」というラジオ番組中に寝てしまい「ラジオ講座」の時間はベッドで爆睡(笑)。 ひどく長い間 考えていたと思っていた。
時間が経って振り返ってみると、それは私にとって重要なことであったかもしれない考察だが、それほど時間をかけて考えていたことではないことを今現在知っている。ただあの時の発想が愚かだったと思ったことはない。
人間はそれぞれ性格や趣向が違う。過去に判断の誤りがあってもいつかそれを忘れるのが人間である。だからこそ、少なくとも自分という人間は、だからこそ今日現在まで生きのびた。苦々しくて晴れない思いを抱いていた自分が時間をかけて変化していったのは、高校時代に出来た友人が根気よく私に付き合ってくれたこととその他色々な人間の様を見てきた結果である。
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