あお日記

2002年11月02日(土) 幼なじみF


 親に金銭的な負担をさせたくないといいながら、結局奨学生を辞めることになったので予備校の学費を60万ほど一括で納めなくてはならなくなった。退院後の「やらなければならないことリスト」の最後にこれが組まれていた。私が通っていたのは新聞奨学生のための予備校なので、同じような境遇の生徒で相変わらずごった返していた。もっとも、ここでも友人など作る気もなかったので挨拶を交わすような人間はいなかった。職員室へ行って事務的な対応と気安めな激励を貰ったが、おそらくあの人たちは分かっていただろう。その通り私は二度とそこへ足を運ぶことはなかった。

 その帰りにタケダの下宿先へ寄ったが彼は留守だった。まあ普通に考えれば予備校に行っている時間だ。当時は携帯電話なんて気の利いたものはない。事前連絡もせずタケダの部屋で彼の帰宅を待つようなことがこの後も何回もあった。タケダの下宿先はマンションを改築して何人かで暮らしていたので、元の玄関は常時開いている。住人に断ればそれこそいつでも訪問は可能だった。
 
 その足で地元に帰ってくると偶然幼なじみのFに会った。すでにこの日記でも書いたが、彼は高校まで私と同じで陸上部の長距離でエースだった男だ。ただ仲が良かった時期は中学までで、高校時は彼の意に沿わず私が帰宅部を選択したので次第に時間を共有することがなくなっていった。
 私の高校は進学校だが現役で合格できない生徒がほとんどで、彼も同じく浪人生活を送っていた。あの時は予備校の帰りで、中学時代の友人何人かと歩いていた。
 奨学生の先輩からもらったCDラジカセは例の兄貴に貸したまま入院中に雲隠れされたので当然手元には存在しなかった。自宅では相変わらずカセットデッキしかないのでその時FにCDのダビングをお願いした。地元に戻ってきてからまたFや勝くんの中学時代の同級生と交流が始まった。



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