きりんの脱臼
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2002年10月29日(火) 村上きわみ

背景はあざみに固定されました  なかはられいこ

「そこはゆるくむすんで」

いきなり声をかけられた。郊外の大型書店。新書の棚の前に立っていたときの
ことだ。ふりかえると見事な白髪の婦人が微笑んでいる。みるからに複雑なパ
ターンから仕立てられたことのわかるコートは、足首までとどく長さだ。緻密
な布地は、秋の枯れ野のように赤茶から金へのグラデーションをなしている。

「なにか?」
「そこはゆるくむすんでくださらないと困ります」
「はあ」
「あなた、余地というものをご存じない。いつかそれが致命傷になりましてよ」

戸惑った。興味をひかれたことは確かだが、このまま会話をつないでいくべき
かどうか迷ったのだった。コートひとつとっても、趣味のいい婦人だというこ
とがみてとれた。お金のかけかたに品がある。何代もかけて身についてきた立
ち居振る舞いなのだろう、首をかしげてこちらを覗き込む仕草は可愛らしく、
それでいて、世俗的なものとはきっちり距離をおくような高邁さも感じられた。

「あの、どこかでお目にかかりましたか?」
「ゆるくむすんだからといって、逃げていってしまうとは限らないわ。世界と
あなたとの契約は、もうとっくに成立しているのだもの」
「契約、ですか」
「むすびめはゆるく、そして堂々と、よ」

彼女はそれだけ言うと、ぱたぱたと身体を折り畳み、みるみるうちに床のPタ
イルの継ぎ目に吸い込まれていった。一連の動きがあまりに自然だったので、
その光景を奇妙だと感じるひまもなかったが、よく見ると彼女が吸い込まれて
いったタイルの継ぎ目は、長いことぶるぶると震えているようだった。
やれやれ、今日はもう帰ったほうがよさそうだ。ぼくは頭をかるく振りながら
その場を離れた。それにしても、と、改めて彼女のことばを反芻する。
ゆるく、堂々と? 

ほころびもほろびも遠いものとして葡萄の種子を吐き出している  村上きわみ


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