きりんの脱臼
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ここは、なかはられいこ(川柳作家)と村上きわみ(歌人)の
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背景はあざみに固定されました なかはられいこ
「そこはゆるくむすんで」
いきなり声をかけられた。郊外の大型書店。新書の棚の前に立っていたときの ことだ。ふりかえると見事な白髪の婦人が微笑んでいる。みるからに複雑なパ ターンから仕立てられたことのわかるコートは、足首までとどく長さだ。緻密 な布地は、秋の枯れ野のように赤茶から金へのグラデーションをなしている。
「なにか?」 「そこはゆるくむすんでくださらないと困ります」 「はあ」 「あなた、余地というものをご存じない。いつかそれが致命傷になりましてよ」
戸惑った。興味をひかれたことは確かだが、このまま会話をつないでいくべき かどうか迷ったのだった。コートひとつとっても、趣味のいい婦人だというこ とがみてとれた。お金のかけかたに品がある。何代もかけて身についてきた立 ち居振る舞いなのだろう、首をかしげてこちらを覗き込む仕草は可愛らしく、 それでいて、世俗的なものとはきっちり距離をおくような高邁さも感じられた。
「あの、どこかでお目にかかりましたか?」 「ゆるくむすんだからといって、逃げていってしまうとは限らないわ。世界と あなたとの契約は、もうとっくに成立しているのだもの」 「契約、ですか」 「むすびめはゆるく、そして堂々と、よ」
彼女はそれだけ言うと、ぱたぱたと身体を折り畳み、みるみるうちに床のPタ イルの継ぎ目に吸い込まれていった。一連の動きがあまりに自然だったので、 その光景を奇妙だと感じるひまもなかったが、よく見ると彼女が吸い込まれて いったタイルの継ぎ目は、長いことぶるぶると震えているようだった。 やれやれ、今日はもう帰ったほうがよさそうだ。ぼくは頭をかるく振りながら その場を離れた。それにしても、と、改めて彼女のことばを反芻する。 ゆるく、堂々と?
ほころびもほろびも遠いものとして葡萄の種子を吐き出している 村上きわみ
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