きりんの脱臼
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ここは、なかはられいこ(川柳作家)と村上きわみ(歌人)の
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桃色のキャンディー・バーは公園の砂場に突き刺して 逃げろ、未来へ 村上きわみ
「ほら、あの血しぶきを見てごらん。」 あなたがそう言ったので、わたしは初めてサムソンの目から噴き出している真っ赤な 血に気が付いた。まだ人の少ない美術館の午前、レンブラントの大作「目を潰される サムソン」の前にわたしたち二人はしばらくの時間を過ごした。「あのかすかな血し ぶきで、レンブラントはきっと時間を表現しているんだ。時間を一瞬に閉じ込めてし まう絵画の中で、あの紅く噴き出す血の数滴が時間の動きを見せつけているんだ。こ の一瞬のなかに永遠があるんだ。一瞬のうちの出来事を焼き付けていながら、サムソ ンは永遠に目を潰され続けるんだ。」
わたしは今日、故郷に帰る。この都市で過ごした十年は決して短い時間ではなかっ た。そして、そのなかであなたと一緒にいた時間もまた短いものではなかった。で も、永遠に一緒にいられるわけはない。この街とも、あなたとも今日でお別れだ。そ の別れの前のしばらくの時間を過ごす場所を、あなたは美術館と決めた。あなたらし いやり方だと思う。そして、そのあなたらしいやり方にわたしはついに身をゆだねる 事が出来なかった。 美術館を巡りながら、わたしはサムソンの潰され続ける目のことを思った。あの目 は潰されてからどうなったのだろう。そのままサムソンの頭蓋のなかに埋もれていた のだろうか。それとも、目を潰した刃物によって抉り出されたのだろうか。
・・・・・・<小便をする>という言葉から何を連想するかと尋ねてみると、<え ぐり出すこと>と答えるのだった、剃刀で眼玉を、なにか赤いものを、太陽を。じゃ 玉子からは何? 仔牛の眼玉。・・・・・・
わたしはバタイユの『眼球譚』の一節を思い出していた。抉り出された眼玉はきっ と、棒の先についた砂糖菓子のように甘美なものなのだろう。そう、わたしは最後ま であなたに、あの『眼球譚』の少女のように叫ぶ事が出来なかった。
「いますぐあの眼玉をわたしにちょうだい!」
わたしが帰るところにどんな未来があるのかはわからない。そもそも未来なんかあ るのかもわからない。ただ逃げているだけなのだといわれればそうかもしれない。 あなたにとってわたしは一瞬だったのか、それとも永遠だったのか。それすらもわ からない。美術館の出口に向かうあなたを見つめながら、わたしはその背中に何一つ 抉り出すべきものを見出せなかった。
わかものの瞳の夜に太陽は昇りつめをりつかみがたしも 黒瀬珂瀾
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