お気に入りの被写体が見つからず、 平日の日比谷公園へと向かった。 朝の寒さは筆舌に尽くしがたかったが、 それでも私の芸術魂を挫くことはできなかったようだ。
昼休みの公園では、サラリーマンやOLが思い思いに過ごしていた。 春に向けてだろうか、芝生が期限付きで開放されていたので、 愛用の一眼レフを片手に広く高い空の下を進んでいった。
芝生の真ん中で、不釣合いな黒いコートを着た青年が立っていた。 彼はゆっくりとコートを脱ぐと、芝生が着かないようにだろうか、 裏返しにして傍らに放り、ゆっくりと座った。 そして片手に持っていた本を広げた。
ああ小説でも読むのか、と思って一度は目を逸らしたのだが、 彼がゆっくりと水色のカッターを取り出したとき、 えっ、と驚いて彼から目が離せなくなった。 しかし、彼の動きは緩慢だが停止することはなく、 本の裏表紙から取り出した手紙をカッターで横に開き、 中の手紙を静かに広げた。
私はそのままじっと彼を観察していた。 彼は手紙を何度も見返して、そっと眼鏡を外して天を仰いだ。 整った鼻筋に光るものが見えたような気がした。 彼は片手に持っていたコーヒーを啜りながら、 丁寧に何度も、何度も、手紙を読み返していた。
惹きつけられるように、私は彼に近付いていた。 彼はコーヒーを芝生の上に丁寧に置いてから、 少し話をしてくれた。
手紙は、大切な人から貰ったのだと言う。 中に詰まっている言葉は、彼女そのものだったし、 僕そのものでもあったと彼は言った。 私は、察してあまり深くは聞かなかった。 初対面の私には彼の言っている意味を全て理解することはできなかったが、 彼がいま感じている想いの一欠けがレンズに写れば良いと思った。
彼が最後に、遺伝子の話をしてくれた。 こうやって私と彼が話をするだけでも、言葉の遺伝子は伝わっていくのだと言う。 本当はちゃんと遺伝子を残したかったんですけどね、と少し笑いながら、 彼は体に付いた芝を払って立ち上がると、ありがとうございました、と言って コーヒーのカップを捨ててオフィス街へと帰っていった。
彼の想いが少しでも伝わるように、私は願って止まない。 前に遺伝子の話を書いたとき、本当は君と同じことを考えていたよ。去年会った時からずっとそう想っていた。一つだけ分からないことがあるんだけど、あの切手には意味が込められているのかい?
深読みしすぎか。
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