イラクで3人の日本の民間人がつかまっていると知ったのは 昨日の昼に見たネットニュースでだ。
最初感じたことは「なんでイラクに民間人がいるの?」だった。 自衛隊の撤退を要求する意味も良くわからない。 テロ行為で一方的に自衛隊が危険に晒されていたりはするが、 自衛隊がイラクの人間を傷つけたりはしていないし、 そこになんの不利益も無いはず。 もっとも、イラクの人々にも僕には到底考え及ばないような事情も あるだろうから、自衛隊が嫌われる事があるのかもしれない。 それでも、即時撤退するほどでは無いと思う。
3人はどうも、自らの危険を感じつつも正義感からイラクへ行ったらしい。 何かをするとき、ただ闇雲に突っ走っていくには危険すぎる場所だ。
戦争が始まるとき、人は人の命よりも大事なものを守るために、と言い、 戦争が終わるとき、人は人の命よりも大事なものは無いと言う。 人の命は何よりも重い。がそれ故、自分の命にも重要な意味があるということを 考えて欲しいのものだ、とその3人に切に願う。
小泉首相は現時点での最高の努力をしていると思う。 イラク派兵も、長い目で見れば日本の国家としての有り方を支える 重要な政治決定だと思う。
人が一人で生きられないように、国も統一国家では成り立たない時代。
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仕事をしている限りでは、それはただ遠い国の出来事でしか なくなってしまう自分がいる。 この件に関して自分が出来ることといえば、 正しい情報を得て正しい理解をし、あらゆる偏見を取り除き、 もし同じような判断をするべき機会に自分が遭遇したとき、 一分でも迷いを拭えるよう考えをまとめておくことだけだ。
そんなことをヌボーと考えていると会議中も意識が飛んでしまう。 議事録担当にもかかわらず、今言った内容を聞いて廻ったり。 なにしろ今週一週間は3年のブランクを取り戻すのが精一杯で 自分のための勉強なんて全然出来なかった。 だが、3年前漠然と感じていたことが今になってようやく解ってきた。 こうやって忙殺されて、なんとなく歳を取っていくのが嫌だったのに 何をすればいいのか判らなかったのだ。 今から転職するにしても、年金や総収入のことが気になってきてなかなか難しい。
やれることをやるだけ、というスタンスは変わらないのだけれど。
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丁度3年前の僕を思い出す。 そのころ、4月から区切りをつけて煙草を吸うのを止めていた。 禁煙生活は、飲み会の時にちょこちょこっと吸うのを除けば 2年くらいは続いていたと思う。
今年、言ってしまえばストレスでまた煙草を吸い始めた。 いけないな、とは思うものの、気持ちが昂ぶってしまった時には いいガス抜きとなる。 1本で4分寿命を縮めるそうだから、自傷行為に似ているのかもしれない。 煙草に火をつけ、灰色の煙で肺を痛め、燃え殻を指でゆり落とすシーケンスは、 善という概念への小さな抵抗なのかもしれない。
いつも無垢でいられない、綺麗事しか言えない社会と、 それが構成する自分に向けて。僕はイラクへは行けないから。 手紙を出しました。遅れてゴメン。先に言っておきますが、名刺の裏には何も書いていません。手紙の方は良く考えないまま書き連ねたので、君はそれを読んで少し醒めするかもしれない。それが今、少し怖い。
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