ちょっといろいろなことがあったので書ききれないのだが、 覚えている範囲で書いてみようと思う。
朝、ぼうっとした頭をねじり起こして出掛けた。 約束の時間には遅れてしまいそうだったが、 小奇麗な格好で、と途中でジャケットを買い、 そのまま羽織って新幹線に乗った。
14時に向こうに到着。 待ち合わせが上手く出来ずに荷物を持ったままうろうろし、 なんとか相手に出会う。 それから、とりあえず時間まで観光ということで、 タクシーで1メーターのお寺と、その近くの美術館へと行った。
寺は入館料が本当は必要だったのだが、 そのまま中に入れてしまったようで払わずじまい。 何体もの仏像を前に、その造形や歴史的な背景について会話。 その後寺を外から見て、縁側というのは生活と労働をシームレスで繋ぐ 日本独自の文化だ、という話をする。
ヨーロッパで言うならオープンカフェなんだろうが、 コーヒーを飲みに外へ行く、という発想ではなくて、 近所の人がふらりとやってきて縁側に座り、お茶を飲む空間、 或いは農作業の途中で足袋を脱がずに休憩できる場所、 というのは、日本以外にはあまりなさそう、といった内容について延々と。 美術館でも、結局はそういった話を終始していた。
18時に予約していた料亭へ。 外見は一軒屋、中も一軒屋の店だったが、 料理は値段を聞くのが怖いほど美味い。 旅費も出してもらっていて、しかもこの接待では、と恐縮する。 が、1時間もするとそこは討論の場となり これからやろうとしていること、出来るのか出来ないのか、 果たしてそれは社会貢献になるのか、というディスカッションで盛り上がる。 最初遠慮気味だった僕も、向こうの先生が本気になってくると、 その場が面白くてたまらない。
それは相手も、この場をセッティングしてくれた彼も同じだったようで、 料亭が閉まる22時まで居座った後、先生の家にお邪魔して話を続けることに。 広い部屋に一人で住んでいる先生の家は、男の一人暮らしにふさわしく ありていに言えば汚かった。 CDも見えるだけで僕が所有する3倍以上はあり、 奥の部屋にもまだあるんだよね、とも言っていた。
つまみは料亭のクオリティからコンビニ菓子まで落ちたが、 話の密度はどんどん上がっていっていた。 しかし、日付を廻った頃に彼女からメールが届く。 折り返し電話すると、盲腸らしい痛みがあるとのこと。 救急車を呼ぶように言うと、我慢するからと意固地になる。 結局3度の説得で、自分で救急車に乗って病院まで行った。 そして僕も今日の始発で帰ることにした。
そこで完全に話の腰も折られた形になってしまい、 音楽についてダラダラ話すという感じになった。 3時過ぎに彼女から電話があり、結局入院することになったと連絡。 向こうの親がやはり旅行先から戻って付き添ったようで 少し安心する。 そして寝られるうちに、ということで先生の家のソファーで横になり、 そのまま朝を待った。
朝、始発の新幹線で帰ってきた。 一度家に戻り、病院へ着いたときはもう11時近かった。 看護士さんの話では、そのまま手術も出来るが、ということだったが、 さすがに昨日の今日でということでそれは見送った。
そこでまた家に戻り入院の用意をしていると電話が鳴った。 外科の先生がいま丁度そろっているから手術をしたいと言われたらしい。 急いで支度をして13時に病院へ行くと、もうすっかり手術の容易がされていた。 本人も取ると決めたらさっさとやってしまいたいようで、 そこで医者の説明を受けて、彼女の両親に連絡を入れ、 14時に手術室へと入っていった。
そこから1時間半ほど待ち無事手術が終わった。 だが、彼女が安定するまでさらに2時間ほどかかり、 ようやく安定しきったところで18時に病院を出て家に戻る。 飯を食いながらメールとWebをチェックして、 こまごまとしたことをやっているうちに寝てしまった。
そして、今さっき起きてきた。 こんなことがあったぜ、とちゃんと伝えたほうがいいと思って 今書いている。
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盲腸ということで大した心配はしていないのだが、 仕事も架橋だし、入院しているし、ということで 今週は忙殺されそうだ。 先生の作った曲を聴いたり、 日記を見てピアノが弾きたくなったけれども、 ちょっと今週は自分のことが出来そうにない。
しかし、疲れた。今日はこのまま寝ます。ただいま。あそこはブックマークしてたので全部読みました。重〜く考えすぎですな。
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