ネパールの山の1通の絵はがきが届いて、何十年も前の時代が、よみがえった。 青春のころと、一口で、言うには、あまりにたくさんのものが詰まっている。 そのはがきに書いてあった言葉、 「4月21日に佐賀○○地方を通りました。 長崎道からいつも見るのですが、建物がひとつ残されて使用されていて 当時の工場のどの部所の建物か思いをめぐらします。工場の人はもちろん、 町の人たちのことなど、当時のことは幻覚のようです」 1970年代、ビートルズと、長髪と、高度成長の時代。 すべてがあれよ、あれよと、進化していた、そんな時代のことです。 佐賀県の、田舎町、炭鉱が閉山になって、町が、産炭地振興の政策に乗って、 産業を誘致した。 奈良県から、タイツの工場がやってきたのだ。 原糸をつむいで、一本の糸にし、それを、足型で、タイツを編んでいく。 次にセットという工程で、形を整え、染色部門で、色付けをする。 製品によって、先染め、後染めがあるのだが、染色が終わると 次に、裁断に入る。裁断機で、何枚も重ねた布状のタイツが、すっと切れるときは、 思わず、目を見張ったものだった。 その後、縫製。何台ものミシンで、型どおりに縫い上げていく。 そして、検品、できの悪いのは、糸ひけといわれ、よけられる。 最後に、箱詰めされ、出荷される。 このすべての工程をひとつの工場で、やっていくのだ。 私は、この工場が、起動する前から、かかわった。 何人くらいいただろう。現地採用で、リーダー養成として、奈良の本社に 研修に行ったのだ。現場の作業の指導者と、工程管理と言われる事務要員。 20人くらいもいたのだろうか、今は、はっきりしない。 私は、工程管理を研修して、2週間くらいだった気がするが、佐賀に戻って、 まだ少ない人数で、いよいよ工場がスタートした。
|