このごろ、日記によくラナが登場するのだが我が家にとって、ラナはそういう存在になってしまっているのだろう 明日はラナの誕生日、1才になる。 翻訳家の中野孝治さんがひょっとしたことから犬を飼うようになってのめりこんでいった話を3冊の本に現している。 はじめテレビドラマになったときにテレビを見て本を買った。 その後で、やっぱり次の本をかってしまったのだが、今その時の中野さんの気持ちが私にもとてもよくわかる。何か気持ちを共有してる気分になっているのだ。 我が家で、犬をかうのは3頭目なのだが1頭目は3ヶ月で亡くなってしまった。親から受け継いでしまった虫が体中を侵してしまっていたらしくいくら治療を続けても駄目だったのだ。 車も怖がらないおとなしく度胸の良いワンちゃんだったのにいきなり悲しい別れとなってしまって家族中がすごいショックを受けてしまった。 結局亡くなった悲しみよりもいなくなった悲しみに耐え切れず今度はペットショップにいってリンをつれて来た。 その時は、まだ大正元年生まれの義父がいて、子供たちがいて犬を室内で飼う等考えられず、私も仕事がありずっと外で飼ってきた。 リンは、シャイな子でカメラを向けると大急ぎで小屋へ隠れ、小さいときに避妊手術をしたためか、病院のにおいを極端に嫌がるために、連れていけず 何かあると往診を頼んだ なにしろ近くに歯科医院があるのだけどその半径500メートルには、決して近寄らないので、散歩のコースにも気を使った位なのだ。 今度やってきた、ラナは、ある意味とても飼いやすい 誰にでもどの犬にでも大好きで挨拶を交わさないとそばを離れないし、 カメラを向けると喜んでやってくる。 今、私は子供も巣立ち、特に時間も心も煩わすようなことがない。 ためにラナの存在が、生活の大部分を占めるようになってしまった。 夫婦二人の間にも程よいクッションとなって、良い関係を保ててるように感じる。 よく心のリハビリなどといわれるけれど犬を飼う事で、十分リハビリができているように思うのだ。 たまに夫と、ラナのやきもち合戦はあるのだけど・・ そして、11月3日は、義母の命日。 お寺さんにおまいりに行く予定だ。
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