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昨日10日に「アンネの日記」を見に行った。 舞台装置はアンネの一家とファン・ダーン一家が隠れ潜んだ部屋。 伊藤孝雄、奈良岡朋子、日色ともゑ、そしてアンネ役は花村さやか。 アンネは学校で「おしゃべりおばさん」といわれるほどのおしゃべり。 姉のマルゴーは物静かで成績優秀、母親にいつも比較されていて、そんな母親との関係は最悪。大好きなのはお父さん。そのお父さんが日記帳をプレゼントしてくれた。アンネは大きくなったら有名な人になりたいと思っている。そこで日記帳をもらったアンネは毎日のことを日記帳に話しかけるように書き続けるのだ。 アンネの話は有名なので多分世界中の人が知っている。 私も同じ、だけど考えてみるとお話は知ってるけれど本をちゃんと読んだことはなかった。 周りは狂気のような世界、支援者の助けを借りて2年もの間じっと暗闇の中で生きる家族。ファン・ダーン夫妻の夫婦喧嘩や途中から仲間入りした歯医者のデュッセルさんのわがままなど細かに日記に書いていく。 伊藤孝雄は物静かで知的、争いを好まない、そんなフランク役を彼のイメージそのままに演じて悲しみがこちらまでひたひたと届いてくる。 日色ともゑは、いつも悲しみをこらえていて、極限状態ではとうとう爆発してしまう。そしてアンネといい関係が結べないことを常に悲しんでいる母親役に徹しているが、若いときにアンネをやっている。 アンネはすばらしかった。 膨大なせりふを次々にまるでにじ色の噴水から清水があふれるように噴出させていった。 13歳から15歳までの2年間、普通だったらたくさんの男の子とおしゃべりしその中から恋も生まれるはず。少女が必ず通過する時期を「とても素敵なこと」と感じ、「今度はいつかしら」と胸を弾ませる。 同年代の男の子はといえばペーターだけ、ペーターとの間に恋が生まれても不思議はない。私にはペーターはちょっと物足りない気がしたけれど。 どんなに大人たちが絶望しても彼女は言う。 「人間は絶対に善だ」と、「空を見て、あんなに青くてきれい」「この時間なんて長い歴史の間の一瞬なのよ」 でも彼女も思うのです。「大人たちはいいわ。でも私たちはまだちょっとしか生きてないのよ。もっともっとやりたいことや知りたいことがいっぱいあるわ」と。 もう、連合軍がそこまで来てるというのに彼らは連行されるのです。 そして生き残ったのはフランクだけ。 フランクは最後につぶやきます。「アンネに恥ずかしい・・」と。 アメリカは2年前まで決してテロのない国でした。 なぜテロがないのかという意味を、アメリカという国は、先住民の人々のことは別にしてもともと世界中からの人々が移民して開拓して作り上げた国だから。あらゆる人種がお互いの人権を尊重しあって作り上げていった国だから。と私は信じていました。 でもあの2年前の今日のこと。たくさんの人が突然にわけもわからないまま殺されてしまった。 それからアメリカはすっかり変わって行ったのです。 アフガニスタンを、イラクを攻撃、大統領の言葉を借りれば攻撃ではなく、2国の人々を解放したことになるのですが。 アンネを見て、あの日のビルの炎上をテレビで見て、今また、追悼式が始まっていますが・・・今、改めて思います。 どんな名目がついていてもやっぱり戦争は間違っていると。
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