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揚げたての丸天の味の思い出 その2
2004年03月08日(月)

子供たちにとってはじめての電車も楽しいなどとは程遠い感じの旅行だった。

目的地の駅を降りて、実家に行く途中に妹の家がある。
見ると、ちょうど車庫を作り直しているところだった。
妹夫婦に、実家の両親(あの頃父は元気だった)それに、親類の人も作業に来ていた。基礎を作るためにセメントをこねていた父は何の連絡もせずにやってきた私たちを見てびっくりした。

とりあえず、「ようきたな」と言うわけでそこに立ち寄ると、母も怪訝そうな顔をしたが何も聞かなかった。車庫作りは2日間かかる予定で親類も一緒に実家に一泊することになっていた。
夕食を食べながら、「お父さんはどうした?」と母が子供たちに聞く。
いろいろ問い詰めることもなく、「お父さんに電話して迎えに来てというんだよ」という。

子供たちはすぐに電話を手にしていた。

結局次の日に夫は迎えに来た。
夫は、家に帰ったとき、子供達も私もいないし、特に置手紙もないので、公園にでも遊びに行ったのかと思ったらしいが、不安になり心当たりの公園を探していたらしい。

多分私だけが、勝手に空回りして心がすれ違ってしまっていたのだけど。

夫が迎えに来た日曜日のこと。
うちの子供たちは両親以外の人に、遊びに連れて行ってもらうとかはしない子供たちだった。ましてや、いくら親類と言っても初対面の人だとなおさらだ。
それなのに、このときは、この親類の叔父さんおばさんが温泉に行くからおいでといわれ、ついていったのだ。今思えば、私と一緒にいるのが気詰まりだったのかもしれない。

温泉から帰ってきた二人は、まるで生き返ったように晴れ晴れとした顔で口々に報告した。

「おかあさん、あのね、ものすごくおいしいてんぷらを食べたんだよ」
「それがね、おおきいんだよ。まるで僕たちの顔くらいあるの」
「そして、揚げたてだからね、やけどするくらいに熱いんだよ」
「持って帰ろうと思ったんだけど叔父さんが今すぐ食べなさいと言うんだ」
「そうなんだよ、熱いうちに食べないとだめなんだって・・」

いまでも、あの嬉しそうな顔を思い出す。

このときから、この親類は「てんぷらのおじちゃん」として、子供たちの記憶にしっかりと刻まれた。
そのご、この親類の娘さんが、弟のお嫁さんになり、より近しい親類になったのだけど。

あとで、聞いた話だけど、子供たちはてんぷらを1枚ずつ持たされてどうしてよいのかわからず当惑していたそうだ。
私は、子供たちにお菓子を買ってもその場や、歩きながら食べたりと言うことを絶対にさせなかった。

それで、家に帰ってからでないと食べないと熱い熱いと悲鳴を上げながら、持っていたのだ。
「こういうのは、買ってすぐに食べるもんなんだよ」と食べて見せると、「お母さんには内緒にしてね」と、二男が言ったそうだ。

そして、二人でものすごく興奮して大騒ぎで食べたと言う。
「あんなんで、あれほど喜んでくれるんだったら、ほんとに安いもんだ」と、何年もたっても良く聞かされた。子供たちにとって親類の叔父さんおばさんがとても新鮮だったように、親類にとってもうちの子はある種新鮮だったようだ(笑)

なぜ、こんなことを思い出して書いたかと言うと、

この親類の叔父さんのほう、私にとっては弟のお嫁さんのお父さんになる方が、まだ64歳だったのだが、舌癌に冒されて、肺や骨に転移し、これを書き出したとき後一月もつかどうかと言うことになっていた。
それで、先週の土曜日にお見舞いに行こうと予定を立てていた。

でも、様態が急変して、金曜日の早朝、帰らぬ人になってしまった。
お見舞いに行くはずに日にお悔やみに行くことになってしまい、長男も一緒に出かけお別れをしてきた。

おばさんは、息子に「良く来てくれたね、おじちゃんもきっと喜んでいるよ」と、声をかけてくれた。

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