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「僕の中の壊れていない部分」 白石一文 「お世話になったような ならないような」森南海子 「死への祈り」ローレンス・フロック 「海辺のカフカ」村上春樹 何の脈絡もなく手に取った本もあるのだけど、どれもこれも強烈に胸に差し込んできた。 「海辺のカフカ」は、 文庫になったときに題名に誘われてぜひ読みたいと図書券が手に入るのを待ちかねて買いにいった。 登場人物に「ナカタさん」という人がいる。 読み進むごとにああ、私もナカタさんになりたいと、心から願ってしまう。 けど、彼は宇宙人(多分)、長生きは出来ない。 でも、そんなに長く生きる必要もないじゃないかとやっぱり、ナカタさんに心底あこがれてしまう。 「お世話になったような ならないような」 私は森さんに傾倒していた時代がある。 子育てに専念していた30代の頃、彼女が出した本は必ず買ってきて何がしかの真似をしていた。 トレーナーで子供ズボンを作って、二男にはかせたことがある。 ある日二男が「お兄ちゃん、これをはいて外に行くって相当勇気がいるよ。お兄ちゃんに出来るの?」と、 しゃべっているのを部屋越しに聞いてショックを受けたものだけど(笑) そのころから、彼女の本に優しいエッセイのにおいを嗅ぎ取ってその部分をこころで読んでいたように思う。 それから年月が過ぎ去って忘れていたのだけど、息子に図書館についていったときに上記の本を発見したのだ。思わず手にとって、待ち時間の間に読んでしまった。 私があの子育ての頃から、相当の時間を経たように彼女の人生にもたくさんのことがあった。 お母さんのこと、娘さんのこと、そして愛すべき猫ちゃんのこと。 森さんのお母さんがなくなる前にまるで遺言のように言った「お世話になったような ならないような」という言葉。心に染み入る言葉だ。 森さんはたくさんのエッセイを書かれていた。他の本もぜひ見つけて読んでみようと思う。 「死への祈り」ローレンス・フロック 元警官で探偵のスカダーが活躍?する探偵小説。 フロックの本は初めて読んだ。 スカダーの枯れた感じはとてもよいのだけど、彼自体いろんな過去がある。 この仲には連続殺人犯がいて、最後まで彼は誰にも見つからない。 その犯人の心理描写が細かく書かれていて、どういうのかその何ともいえない高揚感と苛立ちが奇妙に心のひだに入り込む。反面吐き気が伴うのだけど。 「僕の中の壊れていない部分」 白石一文 「一瞬の光」を読んだときもそうだったのだけど、この作者の「生きる」ということの、あまりにも突き詰め たナイフのような鋭さに呼吸さえも苦しくなってきた。 生きることは死ぬこと。 でも、ただ息をしてるだけのような日々を送ってる私にとってあの登場人物たちはあまりにも辛すぎる。 朝起きて、目が覚めて、今日のお弁当は何を作ろう。 夫を送り出してそばで待ちわびているわんこを散歩に連れて行き、途中で出会う人々に挨拶をする。 帰ってきて、洗濯機から洗いあがった洗濯物を取り出して干す。 それから朝の決まりごとを済まして、ゆっくり新聞を広げ、家庭欄をよむ。 そんな毎日でも、生きているといえると思うし、いや、普通の生きるってことはそんなことの積み重ねのはず。 それなのに、雷太君やほのかちゃんは・・ぎりぎりのところで生きているのだ。 ただ私にも、死ぬということがどれほどのものかというのはよくわかっている。 父の死をもってして十分にわかってるつもりだ。 これらの本たちを立て続けに読んで、「人の死」が共通していることに気がつく。 特に意識して選んだわけではないのに、共通の命題になっていた。
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