パラダイムチェンジ

2006年02月05日(日) 文体とパスの精度

今回は読書ネタ。取り上げるのは「文体とパスの精度」
2002年の日韓ワールドカップにあわせて出版された、中田英寿と村上龍
の対談と、交換されたメールが載っている本である。
今まで読んでなかったんだけど、ワールドカップイヤーということで、
図書館で借りてきたのだ。

この本を読んだ感想を一言で言えば、「ふーん、村上龍と中田英寿って
本当に仲がいいんだねえ」ということになるのだが、別にそんなやっか
みが書きたい訳ではなく。

中田英寿にインタビューしたノンフィクション?としては、小松成美に
よる1998年のフランスワールドカップとその後のペルージャ移籍の過程
を丹念に追った「鼓動」という本がある。
その本については、文庫版「鼓動」の解説の中で、確か作家の重松清が
次のように評していたはずである。
「この本には、著者である小松成美の姿が見事なほどに隠されている」

それに対してこの本は、作家村上龍との対談本という性格ももちろん
あるけれど、村上龍の個性というものが色濃く反映されている。
村上龍という人は、日本という国(特に世間といったもの)に対して違和
感を強く感じている人だから、中田英寿との会話の内容も、おのずと
そういう内容になっていく。

例えばメールでは、貴乃花が武蔵丸との対戦で怪我をおして優勝を
飾り、それを小泉首相をはじめとして「痛みに耐えてよく頑張った」と
激賞したことについて触れていたり、また二人の対談では、「『苦労』
と『きっかけ』と『秘訣』。これが日本のメディアのキーワードです」
なんて話で盛り上がっていたりする。

でも、この本の中で一番私が面白い、と思ったのは、この本の後半に
なるにつれて、中田英寿的な生き方というか、考え方について触れて
いるくだりである。
以下、引用させていただくと、


村上 最初は補欠だったり、ボールをもらえなかったり、うまくいかな
   いことがヒデにとっては当たり前で、大事なときがくると、代表
   になっていたり、レギュラーを取っていたりする。そのときにき
   ちんと考えて練習することが大切なんだという話なんだけど、
   それは根性を入れて練習するとか、耐えて練習するとか、そう
   いうことではないんだよね。でもそこは往々にして勘違いされや
   すいでしょう。

中田 そういうのとはまったく違いますね。たとえばランニングを1000
   メートル何本というような練習も、言われたようにただやるの
   と、自分で必要だと思ってやるのとでは、同じことをやるにして
   もまったく違うし、シュート練習にしても、言われてやるのと、
   こういうふうにあそこを狙って打とうと思ってやるのとではまっ
   たく違う。
   (略)

村上 ほかの人もみんなそうなのかな。あまり聞かないよね、そういう
   話。

中田 考えない人が多いんじゃないでしょうか。

村上 自分の頭で考えない?

中田 言われたことをやっている。走るのなんて僕も嫌いですけど、
   みんな言われるからしょうがなくやっているのかもしれない。
   (略)

中田 これはサッカーだけじゃなくて、ほかのスポーツでも仕事でも
   そうだと思いますが、何が大事って、やはり自分で考えることが
   いちばん大事だと思うし、それができる人というのは、何におい
   てもある程度の成功はするんじゃないかと思いますね。(略)



この話を読んで思い出したのは、平尾誠二がラグビー日本代表監督を
していた時の話だった。
その時、平尾はラグビーとか、サッカーなどの個々のプレイヤーの状況
判断が重要になるゴール型のスポーツにとっては、選手それぞれが自分
で判断することが一番大事で、にもかかわらず指示を待つことが多い、
日本人選手にとっては一番苦手な事だと指摘し、それを改善するため
に、たとえば合宿中の食事のときも全員に同じ食事を与えるのでなく、
自分で考えて自分が必要だと思う食事を取るように選手に指示をした、
という話を思い出したのである。

でも、確かに右向け右、ではないけれど自分で判断しなくても生きてい
ける、というのがいい部分も悪い部分も含めて、日本の特徴だったんだ
と思うのだ。
それは別の言い方をすれば、自分で判断しなくても、正解がどこか他に
ある(という思い込み)が成り立っている社会というか。

今回のライブドアショックの直前まで、これからの日本は格差社会にな
るといい、勝ち組だとほりえもんを賞賛していたマスメディアが、手の
ひらを返したように、ほりえもんバッシングをしているのみならず、
あたかも格差社会すら幻のようになくなって、旧来の日本の価値観こそ
が正しい、のような態度になっていることの方に違和感を感じてしまう
のである。
だってもしもまた、新たな勝ち組の偶像が出てきたら、手のひらを返し
て賞賛するのは、目に浮かぶような気がするし。

そうではなくて、必要なのはそういう雰囲気に踊らされたり盲従する
ことではなく、本当に大切な事、必要なことはなんなのかを、それぞれ
の人が考えることなんじゃないのかな、なんて思ったりするのだ。


この本では他にも、村上龍が2002年のワールドカップの予選について、
なんでセルジオ越後以外に日本では「日本は3戦全勝できなきゃダメ
だ」と言わないんだろう、その可能性はあるのに、と言っているのに
対して中田英寿が、


「やっぱり最初から負けることを考えて試合をやるというのはおかしな
話ですよね」とか「必ず勝つことを想定して、ただその結果は勝つこと
もあれば、負けることもあるというのは事実であるけれども、目標は
あくまでも三戦全勝というのが、やり方としてはいいと思うんですけ
どね」



なんていうくだりがあったりして。
今回のドイツワールドカップでは、優勝候補筆頭のブラジルと予選で
当たることもあって、さすがに3戦全勝できる、という楽観的な見方は
村上龍もできないのかもしれないが。

でも選手であれ、コーチ、スタッフなどの現場であたる人間は、そこで
もしも少しでも勝つチャンスがあるのなら、それを見出すということが
大切なのだろうし、またそれに向けて(最初から負けることを前提にし
ないで)準備をしていく、という事も必要なのかもしれない。

そういうバックグラウンドがあれば、選手も自信を持って強敵にあたっ
ていけるような気もするし、気持ちで負けていれば、やっぱりその勝利
の壁は果てしなく遠いものになってしまうのかもしれない、なんて事を
思ったのである。
それにもしも残念ながら結果が伴わなかったからといって、本人たちが
やるべき事をやったのであれば、何も恥じ入る必要はないわけだし。
次に何が必要なのかを考えればいいわけで。

ワールドカップに関しては、私はただのにわかサッカーファンでしか
ないので、ただ素直に楽しませていただこうと思っているのだが。
今年のワールドカップでの中田選手の活躍はもちろんのこと、その経験
を彼がどのような言葉にするのかを楽しみにして、ワールドカップの
開幕を待ちたいと思っているのだ。


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