パラダイムチェンジ

2006年02月19日(日) ダンスパーティ

土曜日は大学時代の友人の誘いで、鎌倉プリンスホテルまで、ダンス
パーティに行ってきた。
社交ダンスを踊るのなんて、何年ぶりだろう。

パーティでは、現在のラテンダンスチャンピオンのブライアン・ワト
ソン組のデモがあるということで、(それが実は一番の目的で)行って
来たのである。
いやもちろん、友人と久々に会うのも楽しみだったんだけど。

久々にダンスを踊ってみて、思ったほど身体が動かない、という事は
なかったけれど(あきらめも半分はあるけれど)、やっぱり現役の世界
チャンピオンの踊りを見た後では、全然違うなあ、なんて思ってみた
り(当たり前の話なのだが)。

いや、やっぱりね、全身の筋肉の使い方とか、指先に至るまで隅々に
まで気がこもっているかのような、振りだとか、リズムに忠実に動く
身体の割れ方だとか。
いいものを見せてもらったなあ、という感じでございました。

んで、デモを見終わった後のほうが、身体を動かしたくてウズウズ
したりして。
ダンスパーティが終わって東京に帰ってきてから、その足でフィット
ネスクラブで自分の腹筋周りを鍛えてしまっている自分がいたり。

そのおかげで翌日は見事に筋肉痛でしたとさ。


でも、今自分がダンスを踊っていた学生時代の事を考えてみると、
あの頃の自分って、自分で勝手に限界を決め込んで、そしてその壁を
乗り越えることが出来ないことを言い訳にして、あきらめている様な
奴だったなあ、と思うのだ。
だから当然、あまりいい成績も残せなかったし、残せないからこそどこ
か中途半端な感じがする、という悪循環に陥っていたのかもしれない。

でも自分があのクラブにいて、同期とか周りは割と本気になって最終的
にはちゃんと実績を残すんだけど、その差って、今考えると実はほんの
些細な差だったんじゃないのかな、なんて思ってみたり。

多分、それって自分を信じぬく力の差、みたいなものだったんじゃない
のかな、と思うのだ。

自分自身の潜在能力、ポテンシャルというか、やり切った先を大体こん
な感じだろう、なんて想像するのではなく、とりあえず、とにかく身体
を動かしてみる、その結果、自分の思い通りの結果ではなかったとして
も、一歩でも二歩でも、それに近づいている自分が(近い将来に)いると
信じきれる力があるかどうかの差だったんじゃないのかな。

でも多分そういうのって、根拠のない自信というか、思い込み(失礼)
のようなものなのかもしれないと思うのだ。
ま、当人である私の当時の仲間に言わせれば「そんなんじゃないやい」
と言われてしまうのかもしれないけれど。

でもあの当時、自分はそんな風に自分を信じ切ることは出来なかった
けれど、そんな風に見えて自分の夢を実現していったように見える
友人たちがいたことって、今の自分にとっては大きな事なんだなあ、
と思うのである。

そして今の自分はそんな風に、勝手に自分の限界を決め込まないで、
自分自身を信じ切っていけるところまで行ってみよう、なんて思う
のである。

多分、今そう思うのは、オリンピックをやっているからなのかもしれ
ないけれど。


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harry [MAIL] [HOMEPAGE]

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