今回は映画ネタ。今回見てきたのは「ホテルルワンダ」 1月の公開直後に渋谷の映画館に行ったら満員で見られなかったこの 映画。 見てきた感想は、水野晴郎ではないけれど、「映画の力ってスゴイ」 ということと、「君は生き延びることができるか」である。
ルワンダというアフリカの国で起きた、フツ族とツチ族との民族衝突に よる大虐殺の話はニュースで知っていたし、またこの映画の冒頭に流れ る、フツ族の民兵によるラジオ放送や、また映画の中でも流される、 遠景から撮影した、殺人の現場のシーンは、何年か前のNHKスペシャル で見たことはある。
でもね、それはこの映画の中で、ホアキン・フェニックスが演じる 欧米のジャーナリストが言った言葉のように、「はるか遠い国での 出来事」であり、私自身、ディナーの席ではないけれど、眉をひそめる 事位にしか、感じられなかったのである。
でもこの映画は、そんな「遠い国で起きた出来事」に対して、血と肉を 与え、まるでそこにいたかのような迫力を、映画を見ている私たちに 伝えてくれる。 この映画の中でドン・チードル演じる主人公が語っていたように、 ガシッと手をつかまれたみたいに。
おそらくこの映画を見た人の心には、ルワンダという国で起きた悲劇が 単なるニュース映像としてみる以上に、心の中に刻まれたんじゃないの かな、と思う。 それだけの力が、この映画にはあると思うのだ。
物語は、大虐殺が始める数日前から始まる。 この映画の背景にある、ツチ族とフツ族の対立に関しては、公式サイト と、何回もトラックバックさせて頂いている、かえるさんのブログに 詳しいのでそちらを参考にしていただくとして。
ただ個人的には、映画を見ている間は、どっちがフツ族でツチ族か 結局わからなくなっちゃったんだけど。 でもこの映画は、そういう複雑な舞台背景を抜きにしても、主人公と その家族たちが、どう困難な状況から抜け出すのかということに対して 思わず手を握ってしまうのだ。
物語の主人公、ポールは、ルワンダにあるベルギー資本の四つ星ホテル の支配人。 彼自身は多数派のフツ族なんだけど、彼の奥さんは少数派のツチ族で。 映画の冒頭に流れるラジオの音声は、ツチ族はゴキブリだから殺して しまえ、と煽っている。 街の中を漂う不穏な空気。 だけど、ポールはこんなことは長くは続かない、と思っている。
だけどある日、大統領の暗殺を期に突如始まる、粛清の嵐。 自宅にいたポールとその家族と、隣人たちは、いきなり軍人に銃を 突きつけられる。
ポールはとっさの機転で、家族と隣人たちを車に乗せることに成功し、 彼らや軍人たちと共に、ホテルへと向かう。 なんとかその軍人を買収することに成功して、虐殺の危機を逃れる事に 成功する。 彼のホテルには、国連のPKO部隊がいるし、また欧米人の宿泊客もいる ので、とりあえずの安全は確保されているのだ。 だからホテルには、続々と避難民たちがやってくる。
先ほど書いたホアキン・フェニックス演じるジャーナリストの手によっ て撮影することに成功した虐殺シーンを見て、ポールはホアキンに こう言う。「これで全世界が黙っていないでしょう。国連軍が介入して きて、これでルワンダも平和になります」と。 それに対してジャーナリストはこう言う。「彼らは見て、眉をひそめる だけで何もしないだろう」と。
事態は恐れていた通りになる。 やがて国連軍がやってくるが、彼らは欧米人の宿泊客の安全を確保しに きただけで、撤退することが告げられる。 国連軍、全世界からの支援という望みが絶たれた今、はたしてポールは 家族やスタッフや宿泊客たちの生命を守り抜くことができるのか、 という物語。
外国からの支援が得られないことを知り、ポールは妻にこう嘆く。 「オレは愚か者だ。葉巻や、チョコやスコッチを覚え、すっかり彼らと 同じ人間だと思っていた。とんだ思い違いをしていたんだ」と。 それに対して妻はこう言う。「そんなことない。あなたは愚か者なんか じゃないわ」と。
ポールは確かに頭がいい。だけど頭がいいだけじゃない。 もしも彼が単に頭がいいだけの人間だったら、望みが絶たれた段階で 絶望し、酒に溺れて、ただ死を待つだけだったかもしれない。
でも彼が一つ違ったのは、守るべき家族と、そしてホテルにいる避難民 という客と、スタッフとホテルの看板があったからだろう。
彼はそれらのものを守るために、あらゆるものを武器にする。 例えば、ホテルのオーナーや、欧米の知人には電話をして、そして お別れを言えと皆に話す。 彼らが支援の手を伸ばさないことを恥じ入るように、彼らの手を掴む んだと。もしもその手が離されたら最後、私たちは死んでしまうのだ、 と伝えるのだ、と。
また、民兵や軍に対しては、このホテルが四つ星ホテルだということを 彼らは知っている。だから簡単に手を出すことが出来ない。その価値を 守ることが私たちにとっての命綱なのだ、と皆に伝える。
彼がただ単に、外資系の四つ星ホテルの支配人だったから、人々の命を 救えた訳ではないだろうと思う。 彼はそのために、ありとあらゆる手を尽くしたからこそ、そして最後 まであきらめなかったからこそ、その結果があったのかもしれない。
そして彼の姿を見て、自分のできることをした人々がいたからなんだ なあ、と思うのだ。 すなわち、彼は決して一人ではなかったというか。 オーナー役のジャン・レノ、PKO部隊の隊長、赤十字の女性。 そしてホテルのスタッフたち。 そんな一人一人に対しても、思わずハグしたくなるような映画でした。
でも、この映画って、もしもこの映画がアカデミー賞を取る事がなけ れば、そしてその後簡単に日本で公開されていたとすれば、おそらく は単なる映画として消費されるだけで、ここまで話題にはならなかった と思うんだよね。
アカデミー賞を取ったのに、日本では公開されなかったからこそ、 そしてその事をおかしく思う人がいて声を上げ、それに賛同する人が 沢山いたからこそ、日本でも公開され、私を含めて多くの人が見ること が出来た訳で。
だからそれだけの人々を動かしたこの映画の力って、やっぱりすごいな あ、と思うのである。 そういう人の力に対して、素直にありがとう、と言いたいと思います。 この映画のことは忘れないと思うし。
あ、あと全然関係ないけど、主人公の妻役の人の顔が、微妙に自分に 似ていたのも、思わずのめりこんでしまった理由かもしれない。 いや、マジで結構似てる気が。
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