水曜日、生まれて初めて歌舞伎を見に行ってきた。 見てきたのはコクーン歌舞伎の「東海道四谷怪談・南番」 いやー、頭をガツーンとやられた位に面白い舞台でした。 もう、恐れ入りました、という感じ。
四谷怪談については、詳しいことはWikipediaに頼るとして。 かいつまんで書けば、顔の形が変わってしまう毒薬を飲まされたお岩 さんが、非業の死を遂げて、自分を捨てて再婚した亭主、伊右衛門と その家族を呪う、というお話なんだけど、歌舞伎版ではそこに 「仮名手本忠臣蔵」の話が微妙に絡むようになっているらしい。
というあらすじは置いといても、一つの舞台作品として、素晴らしい 出来だと思うのだ。 舞台?は二幕構成になっているんだけど、後半では舞台の一部に水が 張ってあり、この水が後で大活躍をするのである。
物語の途中、中村橋之助演じる伊右衛門が、舞台では水の張っている 川べりに来た時に、水の中からザザーッとお岩さんの幽霊が戸板と共に 出てくるんだけど、これが中村勘三郎その人なのだ。
それだけではない。 その状態で、同じく戸板にくくりつけられた、小兵衛に早変わりした かと思えば、その数分後には、まっさらな着物を身につけて、今まで 水の中にいたとは思えない位の時間で、一人三役を演じるもう一人の 人物、与茂七へと早変わりをする。
また、場面変わってクライマックスの大立ち回りの場面では、捕り物姿 の追っ手を、伊右衛門がバッタバッタと水の中に叩き落して水しぶきが あがり(最前列の観客は、カッパに防水シートでその水しぶきをよけ)、 最後に、伊右衛門と与茂七の立ち回りでは、二人とも水の中に落ちた だけではなく、わざと水しぶきを観客席にかけたりして、やりたい放題 なのである。 最前列からはその度に悲鳴が上がるし、私たち後方の観客はそれを見て 歓声を上げる。
現代演劇でも水をうまく使った演出は数々あると思うけれど、ここまで 悪乗りしたのって、初めてなんじゃないだろうか。
その他にも、焼け落ちた提灯からお岩さんが飛び出してきて宙乗りに なるとか(元々のオリジナルの演出は、江戸時代の初演時からあった らしい)、観客席のあちらこちらから、幽霊姿のお岩さんが奈落から 突如出てきて、その度に悲鳴が上がったりとか。
なんていうか、その豊富なアイデアといい、サービス精神ぶりに 脱帽したのである。
でね、そういう演出の意外さにも驚いたんだけど、同様に驚いたのが、 中村勘三郎、橋之助をはじめとする歌舞伎役者さんたちの、所作振舞い で。
例えば何気なく花道を歩いていく、その姿だけをとっても、絵になる 歩き方をしているのだ。 また、今回女形として、お岩さんを演じている中村勘三郎は、たとえば 薬を飲むときの、動きの一つ一つに気が配られているのがよくわかり。 おそらくは、それが何代も演じ続けられている内に、身体に染み込んだ 「型」なんだろうなあ、と思うのだ。
ノンフィクション作家、小松成美による中村勘三郎のインタビュー本、 「さらば勘九郎」の中で、中村勘九郎時代の勘三郎はこう語っている。
「肚(はら)だな、肚。役者は肚から演じて、その人間になりきっていく しかない」
「四十代になってようやく思えるようになったことだけど、まだダメ だ、まだ足りない、と思って稽古を続けていると、自分じゃない誰か がすっと体に入ってくる瞬間がある。これは技術論じゃありません。 テクニックじゃない。言ってみりゃあ、憑依ですよ。体に憑き物がいる 状態。それは、別の人間になりきるってことなんだけど、小手先じゃ あ、そこまでは持っていけない。肚を据えてこそ、初めて役にのめり 込めるんです」
「役を演じ分ける作業は、物理的には筋肉の反応ですよ。筋肉が伸びた り縮んだりして、違った人間に見せるんだ。でも、肚ができていな きゃ、この筋肉も動かないですからね」
「これは僕が六代目(尾上菊五郎)の孫だから言えることかもしれない ですけど、おじいさんは歌舞伎役者が型にはまってしまうことなんて 求めていませんよ。想像力を持って舞台の上で生き生きと演じること を望んでいますよ」
「感性の触覚に絶縁体を被せたようじゃ、瑞々しい芝居はできないよ。 心を弾ませていれば、役者の筋肉はその役のためにしっかりと働くもん です」
これらの言葉の一言一言に、思わずうなずいてしまうような説得力が、 舞台の上の勘三郎をはじめとする歌舞伎役者の人たちから漂ってくる ような気がして。
これがもしも、ただ単に伝統芸能として、型どおりの演技をしている だけだったら、古典に対するなんの教養もない、私みたいな観客は ただ退屈してしまったかもしれない。
でもね、その伝統に裏付けられた所作振舞いを身につけた人たちが、 瑞々しいアイデアを体現するために、舞台の上を所狭しと動き回って いる姿は、古臭いというより、とても格好よく感じたのだ。
なんか舞台の目の肥えた演劇ファンの人たちが、歌舞伎にはまっていく 理由がわかるような気がするのだ。 そしておそらくは、私にとってはこの舞台がはじめての歌舞伎体験だっ たのもよかったのかもしれない。 今まで見ないでどこか遠慮していたのが素直にもったいなかったなあ、 とちょっと後悔する気になったし。
コクーン歌舞伎は、今年で12年目を迎えるらしい。 でも12年に渡ってコクーン歌舞伎で現代演劇との接点を探るだけでは なく、野田秀樹、渡辺えり子などに戯曲を書いてもらったり、NY公演を 成功させたりと、型破りな事を成功させてきた中村勘三郎のプロデュー ス力、その熱量の高さと、それを周りで支えてきた人たちを、素直に 称えたくなるような、そんな舞台でした。
小松成美が書いていたと思うけど、彼が生きている時代に舞台が見られ ることが、幸福なことなのかもしれない。 また見に行きたいと思います。
|