いっしょくんの日記

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なんとなく 書くんで〜
なんとなく 読んで下さいね。

2002年09月12日(木)  カラー


 色ではなくて襟です

 聖書に親しむ会がありました
 普通に読めば なんていうことのないお話ですが
 その深意を追求して わかりやすく
 教訓を教えていただきます

 どうしてそこまで掘り下げてしまうのか
 ・・・というか 理由付けてしまうのか
 とても不思議に思い
 素朴な質問としてたずねてみました
 「それは・・・ひみつ」
 あら・・・
 謎に包まれてしまいました
 ひとつの聖書に対して
 これほどたくさんの解釈と伝道があるなんて
 キリスト教の不思議を感じます

 数々の雑談の後
 もうひとつ・・・ムラムラと
 聞いてみたいことがでてきてしまいました
 「どうしてカラーをするのですか?
 聖職であることを 示すためでしょうか?」
 無知だから聞けるのかもしれないです
 「首輪です」
 え?
 「神様に従う証です」
 ええええ?
 そう・・・でしたか・・・・
 まるで孫悟空の頭につけられた
 輪のような・・・(名前忘れましたが・・・)
 本当かどうかはわかりませんが
 とてもまじめなお顔で答えてくださいました
 
 目に見えないものを信じること
 想像を頼りに納得し説得すること
 とても難しいことのように感じます

 心が揺るがないように 信仰が弱まらないように
 目に見えるもの 触れて確かめることができるもの
 イエス像マリア像 十字架
 血や肉を忘れないための パンとぶどう酒
 そういうものがあるということで 
 人の心の弱さを感じてしまいます

 雑談の中で マザー・テレサの話が出ました
 彼女の持ち物は バケツとサリーだけだったといいます
 物欲を捨てること・・・心の痛む言葉です
 執着は無いと 自分では思っていても
 物があふれ 必要なものは次々とでてきます
 これがないとこうできない・・・
 つまり・・・自信がないのです
 体に巻きつける布だけで生きる
 ということは 究極の無欲であり
 命に勝るものはないという自信から
 そうできるのではないでしょうか
 ありのままの自分に自信がもてるなんて
 ものすごいことではないでしょうか
 体という入れ物ではないのです
 心とそれを包む魂が そうさせるのでしょうか
 神様の道具になることに徹した生き方・・・
 とても厳しく辛く そして暖かい「愛」を感じます
 でも・・・マザー・テレサの示す「愛」は
 まだまだ私にはわからない・・・
 わかることができないでしょう・・・

 「物を持つことは悪いことではないのです
 それを人のためにどう使い どう生かすかが
 大切なことなのです」
 そんな風におっしゃっていましたが
 今の自分が 悲しい生きものに思えてしまうのです


 
        満ちる

 
      たくさんの人と出逢い

      喜びも悲しみも

      これほどたくさん経験したのに

      私の中は

      いつまでたっても空っぽで

      ほんの少しも溜まる事がない

      これからどれだけ

      どんな生き方をしたら

      私は満ちるのだろう 


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