くるくるくろりくくろにくる
いんでっくす|ふるいの|あたらしいの
9月1日が防災の日なのは、関東大震災が起こった日だからだが、2年前に亡くなった祖母は実体験として知っていたんだ。 つまり、「関東大震災が起った日」と言う記憶ではなく、「あの大きな地震があった9月1日のことね」って認知だよね。 名前なんて後から利便性の為に付けられるものだね。当事者からはなんか遠いところでさ。
地震の時は必ず窓かドアを開ける習慣が付いている。これは父親の教育方針の賜物なんだろうか? 何れ良かったと思える日が来るのかもしれないが、そんな日やそんな目に合わないほうがきっと良いんだろうが。
白鷺の群れがが鳴き声をあげて川辺から飛び立った直後に地震が起こった。目撃したのは期末試験対策中の真冬の真夜中。やっぱ動物はスゲーやと思った。でもその感動も、震度3ぐらいで程なく収まってしまうと『チェ!大地震になって学校無くなっちゃえばよかったのに』なんて気分の方が大きくなってしまうものだった。
白鷺が飛んでいったのは西の方角。 これは、日本武尊。 西方、兜率天に向かっていったという伝説。 確かうろ覚えな知識で言うなら、そっちには弥勒菩薩が座しているはず。 悠久の時が流れた後、衆生を救う為に現われるのね。 日本武尊が弥勒菩薩に生まれ変わるって伝説もある・・・・・かな。
悠久っていうのは56億7千万光年のことらしい。
仏教は天文学と関わることがあるので面白い。
星間の距離を机上に載せて話さなければならない時、結局、目に見えて体で体感出来る以上のことは、すべて「むかしむかし・・・・」始まる話と同程度の胡散臭さがあると思う。 曼荼羅は宇宙の真理を著すものだしね。
真理を辿るってのはある程度の見識のある人間なら多かれ少なかれ試した事があるだろう。 何時も思うのは、真理はそれを真理だと思う物には真理だが、それを真理だと思わない者には真理ではないなどというオタメゴカシは通用しない筈なのだということ。
真実と真理は同じじゃないからね。
モラルもルールも1人で定義づけ出来るけど、一人が唱えていてもそれはモラルにもルールにも成り得ない。ポリシーだね。じゃぁ、ポリシーがその枠を突出していく為には、いったいどれだけの推進力が必要なのだろうか? 月に届くぐらいのエネルギーは必要だろうか?
「アポロは月に行っていない」ブームが再燃していたが、20年前にそんな話をしちゃったら、しちゃった事を後悔するぐらい非難されたっけ。 だからといって、今更、ほら見てみろとも思っちゃいないが。 でも、今回色々な否定的検証の中で、『当時のアメリカの技術力・科学力では有人ロケットを月に打ち上げることは不可能』っていう実も蓋もないっていうか問題の根源に触れるっていうか滅茶苦茶とさえ思える理由(?)が合ったので大笑いした。
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