くるくるくろりくくろにくる
いんでっくすふるいのあたらしいの


2004年02月18日(水) 運命の日に向かって、もしくは後追いの切なさ

ナンシー関のHPの文章を纏めた文庫を読んでいる。
日付が進むうちに怖くなって頓挫。
この日付の1ヶ月後に…とか思ってしまうと今更なのに悲しくなる。

人生は常に続いていくと思うことには賛成。

だから、明日の予定とか、来年の計画とか、無いかもしれないなんて思うことはオイラには出来ない相談だ。

彼女もまさにそう。色んな計画があって、色んな構想があって、でも、実現しなかったものばかりを見せられる辛さったら。

でも、遣り残した事があってさぞ無念でしょうとは思いたくない。いやサラサラ思う気無し。
死後の事は結果論であって、当事者じゃない者の勝手な推測だからね。

生き続ける気持のまま逝ったのだとしたら、それは生きているに等しいのでは?

いやそれすらも勝手な憶測だよな。オイラの自己満足。ふむ。

兎にも角にも人は似非勝手に他人の人生を取り込んでしまう生き物なのだってことだ。と、するならば、少なくともマシな受け止め方をするべきだな。


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