あまおと、あまあし
あまおと、あまあし
 つれづれ「島唄」 2002年03月24日(日)

 遠くアルゼンチンの地で、THE BOOMの「島唄」がブレイク中だとかで。
 日本語を喋ることの出来ない人が、日本語の歌詞をそのまま歌うのを聴き、不覚にも心を揺すぶられて、ここ数日出てくる鼻歌が島唄。
 影響されやすすぎ。我ながら。

 歌いながら思うのは、「これって沖縄の唄だよなあ……」という違和感。
 そもそも、BOOMは沖縄出身じゃありませんし、何より現代の曲なわけで、厳密な意味での島唄、民謡とは違うんですが。
 それでも、鼻歌を歌う自分の中に、異国の唄を歌っているという感覚がある。
 ウージの花なんて見たこと無いし、浮かんでくる情景も雑誌やテレビで見た借り物の風景でしかない。韓国のアリランとか歌ってるのと、自分的には変わりません。どこかの大地に根ざした、人間の歌。
 結局、借り物の感がどうしても否めないのです。

 信州の中核都市で生まれ育った私が、歌うべき「島唄」はあるのか。
 このあたりがどうしても引っかかって、歌いながらぐるぐる(笑)
 民謡というのは、POPSなんかとは全く違う力があると、年を取って思う機会が増えたのはどういう訳なんでしょう。
 たとえば温泉とか行って、湯船で歌うのにPOPSって全然そぐわない。
 あれは流れてく歌。留まって情念を燃やす歌ではない。
 仕方が無いので、「平城山」なんぞを歌って誤魔化していますが、あれも確か昭和の作品じゃなかったかと。
 あとは高校時代に覚えた応援歌とか寮歌、中でも「春寂寥」でしょうか。
 でも何だろうな、信州で生まれて、そこで育った私の歌であるのかと言えば………?
 どれもこれも、違うなぁと。
 「信濃の国」は歌えるけど、お綺麗すぎて、しっくりこないし。
 木曾の馬子唄もなんか違うし。

 なんでしょうね。
 土地にべったり根ざした人間関係の中で生きるのは勘弁と思ってるくせに、島唄のような大地に根ざした唄が欲しいと思ってしまうというのは。(それも選り好みするし)
 別に誰か他人様と民族的な一体感を通して繋がりたいと願ってるわけでは決してなくて、繋がるならこの信州の大地と、などと痛いことを真剣に考えてるわけですが。
 
 年、ですな。


 
 
 
 
 
 



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 著者 : 和禾  Home : 雨渡宮  図案 : maybe