つれづれ「旬」 2002年05月15日(水)
中信地方から東信地方へ越して、初めての初夏。 ○○年間生きてきて初めて、藤が自生してるものだと知る(爆) てか、うっとうしいくらい藤がそこらじゅうに絡まってるんですけど? 前にいた土地は、高山に囲まれた都市。 で、今いる場所は比較的低い山に埋もれた町。 緑は、近い。窒息しそうなほど。 日々眺める光景のあまりの相違に、そこで生きる人間の考え方もまた異なってくるのだろうかとも思う。 本心を言えば。やっぱりあの街に戻りたい。 私は人に繋がるのでなく、土地に繋がる人間なのだろうと思う。 思い出すのは、人ではなく風景。 今日は筍を飛竜頭と筍ご飯にした。 (でも、実はこのあたりで孟宗竹は成長しないので、地物ではない) 子供の頃なら、近場の山へ出掛けて破竹(はちく)の筍を取ってこれたのだけれど。最近は山菜を採るのも権利だなんだとうるさくて。 破竹の筍を、サバの水煮缶と一緒に煮付けたやつ、食べたいなあ(笑) でも近場で勝手に筍取れるところないしな、と諦めモード。 揚げ物のついでに、柿の若葉とニセアカシアの花房をテンプラに。 ニセアカシアは、旦那には不評。 ……信州では一般的な旬の味だぞ。 こうして。 なんとなく旬の物を身体に取り入れたくなるサイクルが、私の身体には根付いているようで。 普段現実から切り離された私が、現実の身体に気づくときでもある。 例えば電気も通じないような山奥で、畑を耕し狩をして 旬のもの、手に入るものだけを食して生きるためだけに生きるなら 何も見失うことはないのだろうと。 まあ、そう思う瞬間でもある。 |
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