note-蒼屋(1) 2002年07月01日(月)
「蛇屋や魚屋なんてのは、あれは本当の職業とは言えないんだ」 祖父は生きているころ、何度も私にそう言い聞かせた。 「蛇なんてものは、石垣の裏に限らずそこらじゅうに棲んでるもんだ。その気になれば冷蔵庫の裏からだって、引っ張り出してこれるぞ。お前だって明日には蛇を手に入れてるかもしれん。そんな生き物なんだ。魚だって一緒だ。あんな、生まれたときから手に入れてるものを、どうしてわざわざ他人の手に委ねようとするんだか。いいか、鱗屋なんてな、あんな鱗のある生き物を扱う商売なんてのはな、本物じゃないんだ」 あの頃、まだ私が小さくて蛙の色の見分けもつかなかった頃、祖父は郷里でただ一軒の蛙屋だった。 いや、あの頃から、蛙屋なんて商売を知る人は殆どいなかった。人が望むのは蛇屋の黒々とした扉、それから病んだ魚を治療するための魚屋の冷たい扉。 蛙、なんて。 蛙など。 誰が、どうして欲しがるのか。 幼い頃の私には到底想像がつかず、店の裏の池に放たれた百匹の蛙のなかから、たった一匹を選び出そうと真剣に吟味する祖父と客の表情だけが、ただ恐ろしいものとして記憶に残っていた。 蛙は扱いずらい。蛇よりも、魚よりもはるかにずっと。 皮は薄く、少しでも乱暴に扱えば破れて死んでしまう。 水を与えるのを怠れば、干からびてミイラになり、与えすぎれば溺れてやはり死んでしまう。 その上、蛙は持ち主を選ぶ。 万人に最上な蛙の指標はない。 よく跳ねる蛙が良いかといえばそうでもなく、日ごろはじっと身体を縮めるばかりで、持ち主もいっそ捨ててしまおうかというほど動かぬものが、ある日突然、天高く跳躍することもある。 あるいは、跳ねつづけ、跳ねつづけ、頂までも跳ねつづけ一時も休むことのない蛙もいる。 蛙の望みと、持ち主の望み。それが一致するかどうかを見極めるのが、蛙屋の真髄だと。 祖父は、そうも言っていたかもしれない。 全ては幼い記憶の中のことで、定かではない。 何故祖父が死んでしまう前に、私はきちんと聞いておかなかったのだろう。 この右手の手のひらで、身動き一つせず空を睨みつづけるこの蛙のことを。 渇きに耐えかねてひくひくする蛙を、私は隣席の客を憚りながらそっと舐めた。 電車は長いトンネルを抜けて、もうまもなく郷里の谷へ到着する。 病んでしまった私の蛙を治す、僅かな希望を探しに。 祖父が死んで無人となったままの、あの蛙屋の建物は、まだ残っているだろうか。不安が胸中を暗くする。と、蛙も疲れたように小さく縮こまる。 私の、蛙。 祖父に与えられたあの日から、一つも飛び跳ねもしなかった蛙は、死ぬ前に一度だけでも地を蹴るだろうか。 電車が、緩いカーブを曲がるためにぐっと傾いた。 窓から、湿った土の匂いが流れ込む。 けろ、と小さな声が、掌から聞こえた。 |
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