note-蒼屋2 2002年07月02日(火)
都会では今、蛇を飾り立てる事が流行っている。 鱗の一枚一枚を磨き上げ、硝子玉を貼り付け、あるいは二股に分かれた舌を盆栽を剪定するように切り詰め切り裂き整える。 私はその最先端の蛇屋に勤めていた。 沼の底に押し込められたような、生家での暮らしに飽いて。高校を卒業すると同時に故郷を飛び出した。 蛙にとっては迷惑な事だったろう。その証拠に蛙は日々生気を失い、鳴くこともなく目を閉じて、乾いていくばかりだった。 蛙など、どうでも良かった。 祖父に与えられたその時こそ、誇らしくもあったのだが。 跳びもしない、跳ねもしない蛙にどんな喜びがあるだろう。 蛙など。 死んでしまえばいいと。そう思っていたのだ。 蛇屋での私の評判は、悪くはなかった。 蛙のことを必死に隠していても、蛇は何かの器官で感じ取るのだろう。私と相対した途端に口を開き威嚇音を発し、尾を振りたててぐねぐねと動き出すのだ。 蛇が蛇らしくなると。 殆どの客は喜んだ。 技術はまるで拙い私を、指名する客は日に日に増えた。 私の勤めた蛇屋は繁盛し、しかし私の居場所は日に日になくなっていった。 私より早く勤めはじめた、優秀な技術を持つ先輩が幾人も店を辞め、それでも訪れる客の数は減らず、私はますます追い込まれていった。 気づけば、蛙は叩いても鳴き声一つあげず、渇ききったミイラのように小さな塊になっていた。 捨ててしまおうと決意した私を止めたのは、常連となった私の客の一人だった。 深い谷間の入り口の駅で電車を降り、両側に迫る深い山の間を徒歩で抜けていく。 車など通ることの出来ない谷の奥深くに、私の生家、祖父の蛙屋はある。 都会生活ですっかりなまった身体に鞭打って、ようやく見覚えのある沢筋にたどり着いた頃には、夕暮れの空気があたりに満ちていた。 蛙屋特有の青塗りの格子戸が、まるでたった今まで誰かが住んでいたかのような佇まいで私を迎える。 拍子抜けするほど軽い扉をからからと開けると、湿った空気が暗い部屋の中からどっと溢れ出てきた。 幼い頃から慣れ親しんだ湿気と、青臭い匂いに身体の力が抜ける。 と同時に、全身の皮膚が貪欲に湿り気を吸い込むのが解った。 私の身体は、こんなにも乾いていたのか。 暗い部屋を抜けて庭に面した雨戸を開ける。鬱蒼と茂る緑が日光を遮り、池の底のような密やかな空間を作り出している。 蛙が、再びけろと鳴いた。 今度は幻聴ではなかった。 掌で、もぞもぞと動く感触に慌てて見れば、固く閉じられていた小さな眼がきりりと開いている。 黒い眼には、幾重にも重なる緑の葉が移りこんでいるのだろう。あるいは、その向こう側の空をまた、睨み始めているのだろうか。 けろ、と蛙が掌で続けざまになく。 と、静かさばかりが満ちていた庭のどこかで、答えるようにけろ、と声がした。 けろ、けろ、けろ。 声は庭の緑陰のいたるところから、絶えることなく沸き起こり満ちて溢れた。 沼の底に帰り着いた私は、その夜、ようやく夢すら見ない眠りへと落ちることが出来たのだった。 |
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