あまおと、あまあし
あまおと、あまあし
 いつわりと真実と 2002年09月08日(日)

父と継母さまをご招待、温泉に一泊しておりました。
広告ばかりは立派で、なんというかサービスの根本を履き違えている感のある旅館でありました。料理だけは普通だったのが救い(涙)
しかし入り口に客がついてもだれも「いらっしゃいませ」と言わないとか、(真ん前に立ってるくせに!)、客に言われるまで駐車場を案内しないとか、部屋のテレビが全然映らない、とかとか。つっこみ所が満載過ぎて泣けました。
せめてアンケートに気づいたこと全部書いて置いてこようかと思ったのですが、そもそもそんな客の声を聴く心構えがあれば、そんな事態に陥ったりはしないのですよねヽ(´ー`)ノ


  ◇   ◇   ◇

石原都知事の娘、と詐称していた方が自殺。
地元であっただけでなくて、嘘、で身を固めるその生き方が。
なんて言うんでしょう、人事とは思えないです。
他人に理解されないであろう、嘘という形が。

自分自身の虚像を作り上げなければ、他人と向かい合えない人間がいます。
それは、素のままで他人とかかわれる人達には、おそらく理解されないであろう病、です。
彼らは、他人に否定されることを何より恐れています。
親や教師、周囲の人間に怒られることを恐れます。それは、そく自分が見捨てられるという事になりますから。
小さな失敗をしたとき、それを素直に告白する事ができません。その失敗を誤魔化すための長い嘘を考え出し、それをさも真実のように語ります。
いえ彼らにとって、その嘘は嘘ではなく、まぎれもなく真実起こった事実、なのです。
失敗を犯した自分を認める事は、自分が否定されることと、彼の内部ではイコールなのですから。

……なんで解るかって、私自身、こういう子供でありましたから。
失敗を犯さない、完璧な人間でなければならなかったですから、そのために沢山嘘をつきました。
嘘という自覚は、あるけれどない。
あるんです、嘘をついているという自覚は。けれど、それよりも自分自身の理想像というのがあって、それに自分自身を合致させたいというエネルギーの方が強いですから、嘘を表層意識からは見えない場所まで押し潰してしまう。
この部分が、普通の人、嘘なんかつかなくても生きていける人には、全く理解できないみたいで。

特に正義感が強い人たち、善だ悪だと物事を大上段に語りたがる人は。
理解できなくて、頭ごなしに嘘は悪いと追い詰めて、嘘を暴きたてようとします。
でも、それは虚言癖のある人間にとっては、少なくとも私にとっては、喉元にナイフを付きつけて殺そうとする、そういう行為にしか思えない。
嘘は悪いという自覚はある。けれど、そこから脆弱なプライドを救い出すための力が、ないのだから。


って。
えー……(^^; 今日は書きたいことが纏まらない。
あのね。
嘘だ嘘だって、暴き立てることは簡単だよ。
特にマスコミの人達って、そういう絶対正義の側からの言葉を使いがちで。
それが私なんぞには、恐ろしいものに見える。
もちろん、件の彼女が実際はどんな人物だったか知らないし、彼女を庇う由縁もない。だけど、一連の報道を見るのは凄く嫌な気持ちになった。

何かが正しいとか、何かが間違っているとか。
どうあることが善で、どうあることが堕落だとか。
他人に向かって語る人間は、私は嫌いだ。
そんなものは、個々人が自分の内側で求めるべきことで、誰かに押し付けることじゃない。
少なくとも、相手の全部を引き受けてやろうっている心構えが無い人間が、相手が鬱になろうが精神失調になろうが、最後まで関わってやるって覚悟が無い人間がそういう行為をするのは、ただ自分のプライドを満たしているだけだ。
おとといきやがれ。


(って、何かあったような切れ方ですね)
(ええ、あったんですよ。ものごっつう迷惑な電話が)
(宗教お断り、何度も言ってるだろう!)




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 著者 : 和禾  Home : 雨渡宮  図案 : maybe