断章──魚── 2003年04月11日(金)
春の指先 木蓮の 抱えきれない 秘め事に 千のこぶしの 開く頃 君と眺めん 寂寥の 春の都に 降る雨を ……戯れに歌うと、魚はそれきり沈黙したのでした。 私は、と言えば、重ねて問うことも出来ず、ああ、と歯軋りをして身悶えたのでした。 一体、魚に真実を語らせることなど、誰に出来るというのでしょうか。 人のうちにあって人を生かしていながら、魚はひとつも明かしてはくれないのです。泳ぎつづけるわけも、目指すその先にある海の色も。 ──では魚など、捨ててしまえば良いのに。 蛙も蛇も、人は思い立てば捨てて自由になることが出来るのだから、魚も。 魚も、捨てて、人は自分の足だけで歩けば良いのです。 私はそう思い立ち、胸元にひらひらと動く赤い色に爪をつきたてたのでした。 いいえ。 爪は、私の胸をえぐりはしましたが、魚は。 魚は相変わらずひれを動かし、どこかを目指して泳いでいるきりなのでした。 私は再び歯軋りをし、けれど怒る事も嘆くことも出来ず、ただ魚の背鰭が向かう先へと、眼差しを向けることしか出来なかったのです。 そこには、花が。 ひたひたと忍び寄る薄闇のなか、浮かび上がるようにして香りたつ梅の花が、巨大な大樹を埋め尽くし咲き誇っていたのでした。 どうして、春を告げる花はああも暗い幹をしているのでしょう。 闇が深まるほど、幹は暗がりに溶けて失われ、花だけが。 花だけが、まるで魚だけが海を目指して人はその付属物であるその様のごとくに、鮮やかに。 私は、私はこのように魚の泳ぎを助ける水としてだけ、存在しているものなのでしょうか。 ぴたん、魚のひれが、はっきりと意思を持って私の胸を打ちました。 私が沈黙し立ち尽くしたままでいると、また。 ぴたん、ぴたん、せかされて私はのろのろと歩き出しました。 薄闇はいよいよ濃く、小道は闇に閉ざされて足元も危うくなります。 おぼつかない足取りの私が、どこを目指すのかも解らず歩いていると、突然、魚が言ったのでした。 ──春の道だ。 当たり前のことを。私は半ば憤りながら目を上げ、 そして、闇の中に浮かび上がる、白いこぶしの、その先の連翹の黄色の、さらに先の白梅の、小道の先々を照らす花の道しるべを──。 魚に促され、私は再び歩き出しました。 この先に海があるの、本当に? 私が尋ねても、魚は答えませんでした。 ただ、胸のまんなかでくるりと回転し、再び、小さな声で歌い始めたのでした。 |
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