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そして彼女はいなくなった・・。 - 2002年09月15日(日) 私が生まれ、18才まで過ごした街、新潟市。 その新潟市の浜から消えた少女がいる。 今から、二十数年前、私が中学生だった頃の事だ。 彼女が忽然と姿を消したことを、私は母から聞いて知った。 「事件に巻き込まれた・・。」 あの当時、彼女の失踪を誰もが、そう考えていた。 特に学校関係者だった母は彼女と同い年だった 私の事が気にかかったのか、 「学校から戻る時には、気をつけなさい。」と不安な顔で話した。 それ以降、街中に彼女のポスターが貼られ、私は進学の為に 上京するまでの5年間、彼女の全身の写真と、やや斜めから写された ふっくらとした顔写真を目にしながら新潟での日々を過ごした。 その失踪が拉致だとハッキリ認定されたのは、それから 20年近くも後だ。 新潟の浜で拉致され、船で目的地に連れて行かれる間中、彼女は 暗い船室で、壁を叩き、掻きむしりながら、 ずっと「お母さん、お母さん!」と叫び続けたのだと、 そういつか本で読んだ事がある。 着いた時には、両手の爪がはがれ、血まみれだったとも。 新潟で私と彼女に流れ続けるべき時間の長さは一緒になるハズだった。 彼女はそれを失い、私は、その時を当たり前のように過ごした。 中学一年の時には、初めて好きな人ができ、 片思いにドキドキした。 高校に進学してからは、 友達と買い物をしたり、たわいないお喋りに時間を費やした。 勉強よりも、むしろ彼氏の事にいつも意識を向け、化粧も覚えた。 「どうしてこういつも、自分は理解されないのだろう」と、 親や大人達との接点を、半分本気で半分どうでもいいと思いながら捜し続け、 意味もなく喫茶店にたむろして、タバコを吸っていた。 毎日が感情のままに動くだけの日々。 小泉首相が”見えない国”へ行く。 そこで、国交正常化に向けた微妙な駆け引きが行われるのだろう。 けれども、政治の狭間で彼女のように拉致された人々の問題が 今までのように深い闇に包まれてしまってはならない。 彼女は確実にいなくなったのだから。 私が安穏と新潟で暮らしていた時、 彼女はそこにいなかったのだから。 住むべき場所、持つべき権利、そしてごく普通の女の子の 楽しみを一瞬にして奪われて。 彼女が姿を消したのは、11月。 まだ、雪は降らなくとも風は冷たく、新潟は空も海も街も、 どんよりとしたグレー一色に包まれる。 どんなにか心細かっただろうか。 彼女はいなくなった。 愛する人、愛する場所、自分が大切にしたすべて、 そう、心さえ残したままで。 ...
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