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寝たきりの患者にとっての強敵は、病気そのものと床ずれ。 母も例に漏れず、背中と臀部に床ずれ(褥瘡)ができていた。 そしてその患部にMRSAが蔓延っているのだから、悪循環である。
時間ごとに体位の変換などをして、予防はして下さっていたのだが 長い寝たきりの生活になると致し方ないことだろう。
と、娘の私は冷静に考える。だが、母はどうだったのだろう。
何かに擦れたりすると痛いんだろう。 「痛い〜」と力の限り大声を出す。 昼間のざわついた病棟でなら、雑音でかき消されてしまうけれど 夜間のシンと静まった空間での母の叫び声は、 多くの同じ病棟の患者さん達の病室にまで響き渡ることになる。
それが毎晩のこととなると、病院側も苦渋の選択を強いられた。
「少し強い薬を使わせて下さい」とドクターはそう言った。 「使ってもいいですか?」ではなく、「使わせて下さい」と云う言葉の裏には ドクターの強い意志と同時に、家族への強い協力要請が感じられた。
母が無意識で点滴の針を引き抜いたことや、着ていた衣服を脱いでしまったりして 手をベッドに括られると云う抑制措置を取られた時もそうだった。 24時間付き添えない家族には、いや、私の場合、仕事が休みの日の 半日しか付き添えない私にとって、「はい」と云う答えしか・・・・ない。
だけどそれは私の意志で、母の意志ではあり得ない。 親子とはいえ自分ではない人間の、意志を代弁することは不可能。 そう思いつつも、そう答えざるをえない。
何という矛盾。 何という罪悪感。
ドクターの云う「強い薬」とは、意識のレベルを少し低下させるものとの 説明を受けた。 つまり目は開けているけれど、強制的に眠った状態のように仕向ける薬だった。 この薬は本人、または家族の承諾とサインがなければ投薬できないらしく、 書類が全て整った状態で説明を聞き、サインをした。
他に方法はあったのだろうか・・・ 未だに解らない。
少しずつ、病院から足が遠のいていく自分を感じた。 病院へ行くのが辛かった。
あの独特な重苦しい空気。 病棟に足を踏み入れる時の諦めと絶望感。
いつの間にか、病院へ行きたくないばっかりに 休みである筈の日にまで仕事を入れて、忙しい自分を作り上げていく。
病院は母の居る場所ではなく、自分自身の精気を吸い取られてしまう 私にとって怖い場所になりつつあった。 そんな私を伯母が気遣ってくれる。 その労いと優しさに、また自己嫌悪を繰り返す。
病院帰りに寄る喫茶店と職場が 当時の私にとっては心を解放できる場所だった。
いつまで続くのか・・・ 1年後の自分、3年後の自分、 いや、1ヶ月後も1週間後も 自分の姿のイメージが浮かんでこなくなっていた。
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