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昨日、故郷で花屋を営んでいる知人に電話をかけた。 「明日、届けてもらいたいんだけど・・・」
選んだ花はシクラメンの鉢植え 色も大きさもおまかせにした。
メッセージはなんて書く?との問いに
「36年前の今日に ありがとう」
そう書いてもらうことにした。 今日は私の誕生日。 36年前に私を産んでくれた母に贈る、シクラメンの鉢植え。
私の手元に母子手帳がある。 36年前の私の物。
母親の名前の欄の全てに、同じ色の紙が貼られている。 そしてそこには養母の名前が几帳面な字で書かれている。
何も疑わずに16年を過ごし ある日私の信じてきた世界が崩壊をした。
母親の欄に紙が貼られていることが普通だと思っていた16年間 一度も紙を剥がそうなどと思った筈もなく 初めて紙を剥がそうと試みた、17才が間近の夏。
養母の名前の下には、霞んで見えづらくなった実母の名前があった。 あの日から私には母が二人になった。
なぜ? どうして?
疑問文だけが頭の中に蔓延った。 恨んでいるわけじゃない。 だけど、なぜ? どうして?
考えても答えなど出る筈もなく あれから20年が経ったのだ。
実母は元気でいる。 逢おうと思えばいつでも逢える。 それは養母がそういう環境を整えていてくれたからに他ならない。
決して表舞台にでることは無い母である。 結婚式も養父母の葬儀の時も、ずっと陰で支えてくれた。 わかってる。 わかってる。
披露宴で晴れがましく花束を渡せなかったから 控え室でそっと渡した。だけど、 ちゃんとちゃんと渡したかったんだ。 あなたに、ずっと・・・。
産んでくれてありがとう。 見守ってくれてありがとう。
今、こうやって幸せを噛みしめていられるのは あなたがいてくれたからだと思う。
誕生日、ありがとう。
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