たそがれまで
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2003年04月23日(水) 日記だけがその人じゃない





あんたさぁ、日記を二つに分離させない方がいいよ。

と、仲の良い友人からメールを貰った。
本人の承諾ももらっているので、一部を引用させてもらうと・・・

どちらかの日記しか読んでない人には、そういう人だと思われちゃうよ。
喜怒哀楽が混じり合って、やっと一人の人間になる。
「歳時記」のおバカな東風も、「黄昏迄」の真面目な東風も
              (注)マジで真面目と云う言葉が入ってました。
私はどっちも知ってるけれど、どっちも混じってるから東風だと思ってる。


まぁそんな主旨だったわけです。
うんうん、ありがと。想いはちゃんと受け取れました。


以前はこの「黄昏迄」を書いてなくて、もう一つの日記の方に
喜怒哀楽を綴ってた。
それはそれで日常だったり、過去の想い出だったりもした。
始まりは「母のこと」だったのだけど、ふと気が付いた。

私の中に、「歳時記」だけでは書き足りない気持ちがあること。
日常生活とは切り離れた、感情が存在すること。

それが嬉しさである時も、哀しみ、悔しさである時も
なんだか分からない複雑なドロドロした感情である時もある。
おバカな日常の羅列の中には、似つかわしくない場合が多い。


それで、いつの間にか二つの日記のカラーが決まった。

「歳時記」の東風は本当におバカで、人に笑って貰うことに喜びを感じる。
芸人ではないけれど、ウケてなんぼだと身まで削る。
  (いやいや、一番の被害者は私の家族達に他ならないけど)
「黄昏迄」の東風は眉間に皺を寄せながら、言葉を慎重に選んでいる。
余計な言葉はなるだけ使わないように、と省きすぎてるかもしれないけれど。

どっちも私。
だけど、 
歳時記+黄昏迄=リアル東風 という式は成り立たない。
日記という枠には書ききれない、本当の日常までは綴ってない。





ある方のサイトで、
「いつもいつも飲み歩いて、子供の面倒はいつ見てるの?
 そんな時間があるなら、もっと仕事を子育てを一生懸命やった方がよろしいのでは?」
なんて書き込みを見つけたけど、それこそが愚の骨頂で
お前はその管理者の人の24時間を知っているのか、と思った。

日記に書いてあるだけがその人の生活でなく
むしろ、書き切れていない事の方が人生の大部分を占めるはず。

自分がそうであるからこそ、私は他の方のサイトでもそういう捉え方をする。
どんなに幸せな文面が並んでいても、どんなに悲しい言葉が並んでいても
その人の人生がそれだけでは無いと思ってる。

どんなに悲しい毎日の中にも、必ず笑いがあるはずで
どんなに楽しい毎日の中にも、必ず哀しさが存在する。

だから卑下することもない。
だから見下すこともない。




ただ一つ、羨ましいと思うのは、
きれいな、素敵な文章に出逢った時。
どんなに逆立ちをしてみたって、私には書けない文章に出逢った時。
自分の文才の無さに、キリキリ歯ぎしりしたくなる。






だから、今からもこのスタイルでいくよ。
どうぞお好きな方をチョイスして下さい。







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