2008年06月12日(木)  自己嫌悪 心に空しい 風が吹く


あ〜、今日もまなティを叱ってしまった。心に空しい風が吹く。ここ数日相方の仕事が忙しくて帰るのが遅いので、忙しい夜に助けが得られず、いっぱいいっぱいになっている。新生児プラス2歳児は私の許容量を超えている。


まなティを寝かしつけた後、こうティに乳をやりながら、昔読んだ子供の育て方に関する本をもう一度引っ張り出して読んだりしてみた。そのうちの1冊、親野智可等著の『叱らないしつけ』にはこのようなことが書いてある。

 子供を叱り続けると、子供の長所が見えなくなってしまう。
 子供の長所を親がうまく評価してあげられないと、
 子供は長所を表に出すことをしなくなる。

 感情を高ぶらせてまでしなくちゃいけないしつけなんてない。

 子供を叱らなくてよいシステムを作ることに頭を使うこと。

 それでも子供ができないことには、
 目をつぶる決意をすること。
 そして同時に、長所を伸ばす決意もする。

 親自身がプラス思考になる。


一度この本を読んで、なるほどと理解したはずなのに、なんかすっかり内容を忘れていた感じだ。

この最後の「親自身がプラス思考に」というのは納得だ。最近寝不足でアトピーまで出ててイライラというかゲンナリしているのだ。それに加えて、まなティもこうティが生まれて複雑な心境なんだろうな、とも思う。


凶悪犯罪を犯す人というのは共通して、「周りに自分を丸ごと受け止めてくれる人」がいなかったんじゃないかと思う。インタビューに答える容疑者の親も、たとえ立派な親に見えても、子供を丸のまんま受け止めてあげなかったんじゃないかと思う。

じゃあ、子供を丸ごと受け止めるってどういうことかと考えると、これがなかなか答えが見つからない。たぶん、厳しいか否かとか、教育に金をかけたか否かとか、そういうこととは全く無関係なんだろう。「子供を丸ごと受け止める」は、かなり難易度が高そうだ。

私は叱らないことに重きを置いているけど、叱らなければ丸ごと受け止めたことになるかと言えば、そうとも言えない。理不尽に怒るオヤジでも、子供を丸ごと受け止められる人もいるだろう(どうだろうか?)。肝心かなめの「丸ごと受け止める」ことさえ押さえておけば、ほかがある程度グタグタでもどうにかなるんじゃないか。


私はまなティを丸ごと受け止められているだろうか…。う〜ん、自分の今日の叱り方を思い返すと、ぜんぜんできていないと思う。

まなティを寝かしつけるとき、叱ってごめんね、と言う代わりに、ぎゅっと抱きしめて「まなティ大好きだよ。ママとパパのところに来てくれてありがとうね」と言うと、「まーティもママが大好き。パパもこうちゃんも大好き。家族だね」と言いながら眠りに落ちていった。

まじで泣けた。「家族」だなんて。こんなに小さいのにそんなこと考えていたのか。ダメな母親でごめん。明日からもっと頑張るからよぉ〜。


相方が帰ってきて、今日の一部始終を報告し、「まなティにイライラして、頭に血が上ったときどう処理してる?」と聞くと、「俺は、これを笑って乗り越えられたら、俺の器が一回り大きくなると思って頑張ってる」と相方。まったく相方らしいぜ。相方曰く、まなティは私たちの許容量を試しているんだと。

私たちだけじゃなく、世の中の親はみんなそれぞれのやり方で頑張ってるんだろうな。私もテンパってる場合じゃない。まなティの人生の時間の一時も無駄にしてはいかん。


つづく。


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・でもホント、ハンドルネームですよね〜。

・私はジャージャー牛でっす。

・最近mixiの方に流れていって、日記人口減ってますよね〜。
 enpituもすっごい人が減ってるような。
 Hさんの日記も楽しみにしてま〜す。

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