2009年01月21日(水) 家庭内 パンデミックが 到来し
恐るべし、インフルエンザ……。予防接種は受けなきゃいけません。絶対。
年始早々私以外の家族全員がインフルエンザになってもた。まなティに至っては、意識障害が出て、脳炎が疑われたので即入院になり、その翌日にこうティが高熱を出し始め検査で陽性、その翌日にはまなティの見舞いを1日中していた相方がダウンで陽性。もう、家庭内パンデミック。
その翌日の朝私も9度の熱が出たので、とうとう来たかと思いながら病院に行って検査したら、なぜか陰性だった。まだ検査に出ないだけかもしれないのでまたきて下さい的なことを医者に言われて退散したが、熱は9度でも体は軽く動けるので、こりゃ違うなと。結局9度の前後の熱がずっと出ていたがインフルエンザではなかった。ウイルスに一日中さらされているだろうに、なぜ私だけ……。
それはさておき、地獄絵図でしたよ。インフルエンザで唸るこうティを、インフルエンザで唸る相方に託して、まなティの見舞いに行く私も9度の熱。さらに1週間後には原稿の締め切りとセンター試験が待ち構えていて、まなティを母にお願いして、うなる2人を家に置いて仕事に行き、原稿を書き……。家の中はむちゃくちゃ、私もボロボロ。
しかし、原稿は無事出せて、センター試験対策もできうる限りやって、家族もそれぞれ無事生還し、私たち家族始まって以来の大災難は過ぎ去って行った。年始早々、悪運総決算という感じだ。
まなティの脳炎の疑いは、髄液検査などして、大丈夫と判断されたんだが、熱にうなされているときは、本当にまずいことになったと思った。それまで寝ているのと意識を失っているのの差はどこにあるんだろうと思っていたが、これが意識不明ということかとありありとわかるような状態で、意識が戻ったら「どうして壁がこんな色なの?」とか「グミはどこ?」とか心配なことばかり口走って目の焦点は定まらず、またすぐに意識を失うという感じだった。
救急病院に行って、即入院が決まり、運ばれていく我が娘を見て、娘の人生をむちゃくちゃにしてしまったかもしれない後悔と、娘を失う恐怖で、もう頭の中はパニック。まなティのあのときの姿は私の目に焼きついて一生忘れないだろうと思う。
入院中は家族は一緒に泊まることができないので、いろんな管に繋がれて熱にうなされるまなティを置いて泣く泣く帰ったんだが、翌朝行くと、まなティは涙と鼻水でグチャグチャな途方に暮れた顔で病室のベッドにちょこんと腰掛けていた。それが小さくて小さくて頼りなくて、泣けた。こんな状態にしてごめんよごめんよと心の中でたくさん謝った。
一方、こうティはインフルエンザが治ったあとも、子犬のような変な咳が残っていたので、かかりつけの病院に行ったら、クループとかいう病気(?)で、気道が腫れていてこれで赤ちゃんは窒息死することもあるという。薬と吸入用の機械を貸し出され、2日以内に改善が見られなかったら入院、と言われてしまった。まさかそんな深刻な状態だったとは……。もう私は親失格である。
幸い2日以内に改善し、今は咳もほとんどしていないが、1日2回くらいする咳がまだ子犬で、完治はしていない様子。私もまだ喉の痛みとダルさと咳が治らない。今までは病院なんてほとんど行ったことがなかったが、子供を持った今、病院とうまく付き合って、初期の段階で治療を受け、残る症状も徹底的にたたいていかないと、大変な結果が待っているということを頭に入れておこうと思う。
つづく。
日記のもくじ
|昨日の日記
|明日の日記