ミドルエイジのビジネスマン
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2003年05月10日(土) ゴルフとウルトラマン太郎

五月晴れの一日、ゴルフをやってきた。
都心から電車で一時間位、隣に遊園地や野球場がある都会的なコースには早くもセミが鳴いていた。

あまり気を使わなくてもいい同じ会社の部長さんや次長さんがメンバーなので、伸び々々とプレーしてきた。公平なハンデの決め方の結果大部長の上司が優勝、生涯ベストスコアの出た人もいて、みんながハッピー。

暑くなったのかチョッキを脱いだらてきめんに調子を上げた人がいた。ドライバーショットがピシッと決まったので「ベストを脱いだらベストショット!」と声をかけたが、こんなに上手いジョークを誰も誉めなかったのは驚きだ。しかも、午後のラウンドでショートホールでワンオンするとキャディバッグなどがもらえるゲームに申し込んだら本当にワンオン。まあ、実際に当たったのはキャディバッグではなくゴルフ用のソックスだったので本人のコメントは「ちょっとソックす」(ウソ)。

そのベストショットの人は徹底的についていて、お昼にレストランでノンアルコールビールを飲んでいるとテレビ東京のクルーがやってきて、17日(土)の「ワールドビジネスサテライト」で放送するからとノンアルコールビールの良さについてインタビューされていた。


この日記の中でもゴルフについてあまり積極的な記載がないのは、得意種目ではないからだ。

一番最初は、上司から昼休みの喫茶店で毎日のようにクラブのグリップの仕方の話を聞かされ、次には古いクラブを只であげるからと先輩にだまされて引きずり込まれ、霧雨の降る中、富士山のふもとのゴルフ場でのデビュー戦では打込むたびに砕けた軽石でクラブは傷だらけ、振り終わったら何も考えずにクラブを3本持って走っていけとか、下手くそなのは分っているから打ち終わってもシマッタなどと声をあげるなとか、コンペのときはキャディさんにお土産を渡す係、汗をかいても風呂には入らず皆様のスコアの集計ばかりやらされ、挙句の果てにコースに出るたびにひと月の小遣いが吹っ飛ぶような支出を強いられて、それで好きになれと言われても無体というものだ。

それでも10年位前まで、若い人が苦行を乗り越えて楽しみの方が大きくなるまで続けたのはゴルフがビジネス上の話題や上司に取り入る手段として重要な位置づけを占めていたからに他ならない。

今や結婚式にも会社の上司など呼ばない時代だ。大部長は会社の人とゴルフに行く最後の世代かもしれない。打ち終わったらクラブ3本を持って走っていくのは昔と変わらないが、全面ガラス窓から遊園地を見やりながらゆっくりと風呂につからせてもらった。

ゴルフもスポーツである以上、トレーニングでコツを会得すればどんな人でもある程度余裕を持って楽しむことができるようになる。昔、幾多の若者に理不尽な思いをさせた責任は、自らきちんと基礎を教えることなく一刻も早く仲間に引きずり込もうとしたオヤジサラリーマンどもにあると考えている。

大部長はバブル期以降1〜2年に一度しかプレーしなかったが、最近のんびりと練習場に行くようになった。かつては当たるかどうか不安に駆られながら、ボールに当てに行くようにひ弱に振っていたドライバーを思い切りボールをひっ叩くようにしてから却って当たるようになった。

ゴルフ場からの帰りにズボンのポケットを探っているとキャディの田島さんに返し忘れたマーカー代わりのメダルが出てきた。五百円玉くらいの大きさで子供がゲーム機に入れて遊ぶのに使うものだろうか。バス停ですることもなくまじまじと見ているとウルトラマン太郎と書いてある。ウルトラマン太郎が立っている絵柄の周りに円周に沿って英語らしきものが見えるので目を細めながら追っていくと「True Son of Father and Mother of Ultra」と書いてある。ウルトラの父と母の本当の息子・・・ウルトラの父には非嫡出子の息子もいたのであろうか。あるいは男の中の男というような意味で「true」と使っているのだろうか。あまりの馬鹿々々しさに思わず笑ってしまったが、いつか、今日のような明るいお日様の射すグリーンの上で思い出し笑いしながらウルトラマン太郎のメダルをマーカーとして置く自分の姿を想像した。











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