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雨宮【MAIL

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 昨日の補足。
2002年10月30日(水)


えーと。
実は論理的に文章を書くのが苦手、なので、昨日のも何が言いたいのか要点がさっぱりでありますね。
ちと補足。

全部で100ってのは、解りやすいようで解りにくいたとえかもしれません。
「家事が10、人付き合いが50、生存本能が20、運動能力が20」
……なんてふうに、単純にうちわけできるほど、人間の生きるって行為は単純じゃないことは、皆様もよくお分かりでしょうし。

結局、何が言いたいのかっつーと。
いろんな人がいて、それでOKな世の中になって欲しいなあ、と。
そいういう事であります。

人って、絶対にオールマイティーでは有り得ないと思うんですよ。
家事が完璧だけど、人付き合いは苦手な人とか
人付き合いは大好きだけど、細かい仕事は出来ないとか
身体を動かすことだけなら得意だけど、他はからっきしとか。
いろんな人が、いるんだって事です。
たとえば学校では
「おとなしく授業を聞けて、先生の言う事をよく守れて、忘れ物をしないで、宿題をちゃんとやれて、なおかつ友達と仲良く出来て、更に望めるなら勉強が良く出来る」子供が理想とされるじゃないですか。
たとえば通信簿でも、その点ばっかりが評価されますよね。
だけど、どうなんでしょう。
その価値観そのものが、本当に正しいんか? ん?
と、そういう疑問も持って欲しいのであります。
例えば結婚して、家庭に入ったとして。
女性なのだから、掃除や食事作りを含める家事が完璧で、なおかつ子育ても完璧でなければならないって、そういう型にはまった要求って、本当に正しいの?
そうじゃない主婦がいて、それは本当に非難されるような事なの?
──と、時々はちょっとふりかえって欲しいなあ。
そう思うんです。

極論を言っちゃいます。
「何かが出来ない」「何かが得意でない」ことは、けっして欠点ではないと思います。
「何か一つは長所があるはずだから、それを見つけてあげればいい」なんて言いますよね。でも、どうなんでしょう。
「長所」って必要ですか?
「ただただ生きている」じゃ駄目ですか?
生まれて、生きてる。それじゃあ、駄目ですか?
生きて生きて、それが、人間を含めた生命の本質ですよね。
だから、生きてる、その事が一番大事だと私は思うんですよ。
って、本当に極論(笑)
その中で、縁があって、隣に来てくれた人が、
長生きしてくれれば、そして出来れば、悲しい想いをしないでくれればと、
そうお互いに願って、生きていければって。
そんな風に思ってるんであります。

求めすぎれば、やっぱり辛くなります。
「なにか良いところ」を見つけるという行為は、対照として「悪いところ」を数える行為でもあるような気がするんです。
「自分を変える」行為は、その人の内側から自然と沸きあがってくる衝動によってしか成し遂げられないことだとも、思うんです。
だから、「こう言う風に変わらなきゃだめだ」って押し付けないで、ね。

……って。
やっぱり結論がよくわかんなくなってきたー(苦笑)
えー。とりあえず。
ゆっくり、歩いていきましょうよ。
いろんな人がいて、いろんな考えがあって、いいじゃないですか。
生きてる、そのことが、一番ってことで。




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