ディリー?闇鍋アラカルト
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医療の問題点を描いたコミックがヒットしてから、TVでも医療の問題点についての番組が増えたような気がする。と言っても、うちのTVは映らないので、他所に行った時にたまたま見たのでそう思うのだが・・・
医は仁術にして算術に在らずとは言われる事だが、現代の職業医は完全に算術である事が多いように思われる。 大体、「医の道に進んだのは?」と聞かれて「高校時代に成績が良かったから先生に勧められて・・・」と答える人間が多いらしい。本人の意思はどこにあるのだろう? 自分で生きる事を他人の価値によって決めてしまうと、その中に自分の価値を見出すのが出来にくくなる。外面的な価値が判断基準になってしまいやすい。 その中でも所得の多さや権威というものが「医」そのものの価値よりも大きなものになってしまいやすいのだ。
僕は高校時代に「薬のいらない健康法」という本を読んだ。それは玄米食について書いてあり、僕はそれで便秘の改善が出来た。食と医の関係について初めて考える体験でもあった。 大学時代、専攻は昆虫学だったが、漢方薬局でバイトをした。書棚にある漢方の専門書を片っ端から読み、薬剤師先生と患者さんのやり取りを聞いて実践を肌で感じた。先生曰く、「医者でも漢方薬を処方する人がいるけれども、実際に漢方の治療体系を学んで処方するのでなく、病名を頼りに処方している事が多いので、見当違いが多いんだよ。」この事情は現在尚改善されていないようだ。漢方の副作用による死亡事故というのは、実は診立て違いが大半なのだ。 幼い時にはしょっちゅう病気になっていた僕だが、関東で生活するようになって余り病気にはならなくなった。これは玄米食のお蔭かも知れない。たまーに体調を崩すと自分で漢方薬を選んで飲んだ。 健康法としての飲尿もやった事がある。金のかからない健康法とも言える。 自分一人で生きるという意志が、病気になんかなっていられないという気持ちを育んでもいた。なったとしても自分で治す! 漢方薬から離れたのは、漢方薬もまた病に対して処方されるもの・・という認識からだ。病にならない事が一層大切だと思うようになった。 その為には自分の体を構成するものをもっとよく理解しようという事で、再び食生活について研究するようになった。 また、管楽器や歌をやってたせいで、呼吸や姿勢というものにも気をつけるようになった。これが猫背の改善法に結びついている。 高校時代から興味のあった心理学の一分野としてのリラグゼーションが肩こりの改善法に発展してもいる。 僕にとっての医は一人で生きるという事と密接に関係していた。 自分の体という一つの宇宙。それは、幼い頃に昆虫に抱いていた限りない興味と同じく取り組み甲斐のあるものとして感じている。
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