ディリー?闇鍋アラカルト
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2003年09月15日(月) 仏陀の悟り・無知の知

大学時代に「ブッダの言葉(岩波文庫)」を読んでいる。
仏典の中には様々な物があるが、この「ブッダの言葉=スッタニパータ」は最も古く、歴史的人物としての仏陀の言葉に最も近い詩句を集成した聖典だと言われている。
読んでみた感じでは、割と当たり前の事を書いてある感じで、深遠で崇高な教えとは感じなかった。
例えば、
259.諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき人を尊敬する事、・・・これがこよなき幸せである。
261.深い学識あり、技術を身につけ、身をつつしむことをよく学び、ことばがみごとであること・・・これがこよなき幸せである。
ブッダは釈迦族の王子として生まれ、この世の無常を感じて出家し、修行し、遂には悟りを得るのだが、その悟りは余りに霊妙で、他の人々に伝える事など不可能のように思えた。そして、「ならば、この悟りを抱いたままで死のう。」と考えたのだが、その時御使いが現れて、その思いを翻し、人々にその悟りを伝えるように説得したという逸話がある。
「人々は迷妄の中に居る」だから、苦しみは続き悲劇は起こる。だから悟らなくてはならない!何を?座禅を組めば悟れるのだろうか?どんな悟りが得られるのだろうか?南無阿弥陀仏と唱えたら悟れるのだろうか?南無妙法蓮華経の方がいいのだろうか?
僕の考え方は具体的だ。皮膚や健康状態や生態系のバランスなどから考える。
合成洗剤(ボディシャンプーなど)を使うと皮膚がカサカサになり易い。という一つの事実がある。これは厚生労働省のHPにも書かれていた事だ。化粧品や洗剤による健康被害は非常に多い。
では、これがなかなか減らないのは何故だろう?
このような現象の中に「人々は迷妄の中に居る」という事があるのではないか?
超大国アメリカの必死の努力に関わらず、中東の争いは静まりそうにない。
やり方がおかしいのではないか?金と軍事力によって解決出来ると考えるのが迷妄なのではないか?
そう考える人たちに政治の力を預けてしまうのが無知なのではないか?

無知と言えばソクラテスが「無知の知」というような事を言ったように高校時代の倫理社会の本に書かれていた。
ソクラテスは自分が知恵者であるなどと思っていなかった。知らない事が沢山あるのを知っていた。
しかし、知恵者と呼ばれるような人たちを観察すると、その人たちは知らない事が沢山あると気付いていないように見えた。もし自分が知恵者であるとするなら、自分の無知を知っているという点なのではないか?これがソクラテスの無知の知だ。

高校時代の倫理社会の教科書には、ソクラテスも仏陀も登場し、悟りについても無知の知についても教えられるけど、それは肌荒れの解決にも国際紛争の解決にも役立たない。
他人の借り物の悟りや無知の知ではなく、目の前の肌やスーパーやTVで報道される事に潜んでいる事をしっかり観察する事が、現代に於ける悟りや無知の知を知る始まりなのではなかろうか?


いなっち |MAILHomePage

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